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『週刊新潮』の記事について⑦:記事の尻馬に乗る岩波書店労働組合 

『週刊新潮』の記事の発表にあわせて、岩波書店の役員・職制(部課長等)以外のほぼ全ての社員を組合員とする岩波書店労働組合(私は既に脱退届を出している)、による、私への攻撃が激しくなっている。ここまでやるか、と感心させられるほどだ。

はじめに説明しておくと、岩波書店の役員8名中、4名が岩波書店労働組合の委員長・副委員長経験者であることや、岩波書店労働組合で中心的な活動を行なった後、職制になるケースが多い(なお、委員長経験者はほぼ全て職制(部課長等)に「出世」している)ことからも分かるように、岩波書店労働組合は典型的な御用組合であって、この会社は、いまどき珍しいほど労使の関係が緊密である。

さて、11月15日、岩波書店労働組合委員長と副委員長は、私が論文で「岩波書店労働組合壁新聞」(④でも書いたが、社内の食堂で、岩波書店労働組合が掲示している文書。食堂を訪れる岩波書店の執筆者や、社外関係者も見るもの)に掲載された編集者の文章を引用したことについて、岩波書店労働組合執行委員会(以下、執行委員会と略)として、「労働組合や『カベ』編集委員会、また執筆者本人に了承も得ずに、無断で社外に公表する文章に引用」したことについて、「強く注意を促す」文書(以下、『11月15日文書』と略)を手渡した(引用の可否に関する私の見解は、④参照)。

文書の宛名が私宛になっていたが、これは、「岩波書店労働組合員としての金」への文書であるという。私は前述のように、岩波書店労働組合に脱退届を出しており、組合費も払っていないのだから(今後組合費を払う意志はないこと、除名してもらって一向に構わないことを伝えているにもかかわらず、いまだに岩波書店労働組合執行委員会は、毎月給料日前後に私の職場にやってきて、組合費の支払いを要求してくる)、本来はそもそもこの文書を受け取る必要すらないのだが、二人は私に口頭でも抗議した後、これから岩波書店労働組合の職場会で、今回の経緯、「壁新聞」のルールと労働組合の見解について、説明するとのことだった。

抗議するのは組合の自由だから、放っておいたが、職場会の後、執行委員会の行動はエスカレートしていく。まず、『週刊新潮』の発売日である11月29日の夕方(『週刊新潮』の吊革広告は前日に出るから、この時点で当然、『週刊新潮』の記事の件は知られていただろう)、「壁新聞」で、執行委員会は、『カベ新聞掲載記事の引用について』なる文章(以下、『引用について』と略。約1300字)を掲載し、私を実名入りで批判する。なお、「壁新聞」は、通例、二・三の文章により構成され、社内食堂に張り出されるものだが、今回は、『引用について』だけではなく、『カベ社より皆様へ』として、「壁新聞」編集長による、私に「壁新聞」の文章を引用された「執筆者への衷心からの謝罪」を表明する文章も掲載されており、「壁新聞」の半分以上のスペースが私の論文での引用関係に割かれている。明らかな「見せしめ」である。

「壁新聞」は、ほぼ2週間ほど掲示され続けるものであるが、執行委員会はこれに止まらず、掲載から1週間後の12月6日に、「壁新聞」に掲示されている『引用について』を、組合員全員200名前後に配布している(「執行委員会ニュース 第9号」への掲載)。「壁新聞」に掲載されている文章が、同時に、わざわざ文書で改めて配布されたのは入社以来初めて見た。ここまで一つの見解(というよりも、実名入りでの個人攻撃)を「周知徹底」させようという意思は、これまで経営側との団交時にもお目にかかったことはない。明らかな、私に対する「嫌がらせ」であり、「いじめ」そのものである。

ましてやこの間、『週刊新潮』という札付きの反人権雑誌で、私は、事実の歪曲込みで、実名で差別的な攻撃をちょうど受けていたところである。執行委員会がそれを知らないはずはない。執行委員会は、この記事の尻馬に乗って、私に対して追い討ちをかける形で、こうした「嫌がらせ」、「いじめ」を行なっているわけである(注1)。

だいたい、「壁新聞」の情報の機密性という岩波書店労働組合の見解を組合員に伝えるには、11月15日に委員長と副委員長の話にあった、職場委員会等での周知徹底で済む話であるし、岩波書店の社員のうち、私以外の人間が、私のようなことを再びやる可能性がないことは、社員であれば誰の目にも明らかだ。そもそも、本気で私以外の人間による再発可能性を恐れているはずならば、社員食堂で貼り出すという形式について再考するのが当然だと思うのだが、『カベ社より皆様へ』によれば、「現在よりも秘匿性を高める措置を講ずる予定は当面ありません」という。ここには、私への「見せしめ」「嫌がらせ」「いじめ」という、執行委員会の強い意志・欲望が現れていることに疑問の余地はない。

また、「引用について」は、論理自体が支離滅裂である。以下、冒頭部分から引用しよう。

「先期カベ社(注2)は、話題の本について担当編集者に語ってもらうという趣旨のシリーズ企画において、学術一般書の馬場公彦課長に、『獄中記』に関する記事を依頼し、4月12日輪転のカベ新聞に掲載しました(注3)。/この記事が、インパクト出版会発行の雑誌『インパクション』第160号(2007年11月10日発行)に掲載された金光翔氏の論文「<佐藤優現象>批判」において、馬場氏および岩波書店の著者を批判する文脈の中で無断引用されました。このことに対して岩波書店労働組合執行委員会は強く遺憾に思うとともに、本人に文書をもって厳重に注意しました。」(太字は引用者)

問題は「無断で社外に公表する文章に引用すること」(『11月15日文書』より)なのではなかったのか。「無断で社外に公表する文章に引用」したとして私を批判していたはずが、「馬場氏および岩波書店の著者を批判する文脈の中で無断引用」したことが悪かったことになっているのだ。

興味深いことに、『11月15日文書』には、「批判する文脈」云々およびそれに類する表現は一切ない。単に、「岩波書店労働組合の「壁新聞」を無断で引用されたことに対して、遺憾の意を表明します」とある。無論、『引用について』の方が、執行委員会の本音であろう。要するに、社外がどうこうというより、自分たちが関わっている文章が私のような「敵」に利用されてしまったこと、それに激昂しているのである。

また、こうした「嫌がらせ」「いじめ」が、彼ら・彼女らの仲間である馬場氏や、「岩波書店の著者」(当然、佐藤も含まれるのであろう)を論文で私が批判していることへの反発から出てきていることも、あからさまであろう。単純な話だが、私の論文に異論があるならば、「言論」で反論すればいいだけの話である。『インパクション』もリベラル・左派からの反論投稿として歓迎するだろうし、『インパクション』が嫌ならば他の雑誌(『世界』とか)でやればよい。「言論」で反論せずに「嫌がらせ」「いじめ」で批判を封じようとする彼ら・彼女らの醜悪さ、卑小さに呆れざるをえない。

結局、執行委員会は、対立する見解であっても言論であれば、言論のレベルで闘わせるという、「言論の自由」に関する最低限の理解すらなかったことになる。④でも書いたが、馬場氏が私の引用が不当だというのであれば、馬場氏が彼の記述内容に対して下した評価に言論で反論すればよいだけの話だ。執行委員会に対して、私は、言論に関わる出版社の人間としてこの程度の認識は持つべきだ、と言っているわけではない。ましてや、「岩波書店」の社員として持つべきだ、などと言っているわけでもない。せめて、憲法が保障している権利くらい認識してはどうか、と言っているにすぎない。

なお、重要なことは、この執行委員会が、決して岩波書店で周辺的な人々ではなく、編集・企画活動の中心にある人々を多く含んでいることである。執行委員会12名の中には、『広辞苑』担当編集者(2名。うち1名は、副委員長)、新書担当編集者(単行本では、斎藤美奈子などの本を手がけてきている)、戦後歴史学系や中東関係の本を数多く担当してきた編集者、市民運動関係の本を出してきた編集者、ジュニア新書・自然科学系の本を多く担当してきた編集者、生活・健康関係の本を担当してきた編集者といった面々が含まれている。考えるべき問題は、こうした人々を中心とした執行委員会が、『週刊新潮』の尻馬に乗り、「敵」である私に対して「嫌がらせ」と「いじめ」を繰り返しているものとして設定しなければならない。

私は、ここには、<佐藤優現象>に関する重要な手がかりがあると考える。

私は論文及び⑥において、<佐藤優現象>が志向する国家体制においては、リベラル・左派は、「市民」としての生活を最優先する立場を捨て、右派とともに、「国益」を最優先する価値観を共有することになり、そうした体制に異議を唱える在日朝鮮人には<嫌韓流>に基づいた排外主義が発動される旨述べた。

今回の執行委員会の行動様式には、<佐藤優現象>が志向する国家体制において、リベラル・左派がそうなるであろう姿が示唆されている。

『引用について』には、私の行動に関して、以下の記述がある。「社員として知りえた情報を無断で社外に公表することには大きな問題があると考えます」。この認識自体が議論のスリカエであることは何度も述べたが、ここでのポイントは、「労働者」の集合体である「労働組合」の文書であるにもかかわらず、ここでは、「社員」としての立場から、「言論の自由」よりも「社益」(それも、会社が解釈する意味での「社益」)に価値を置くことを前提とした立場から記述されていることである。

執行委員会は、「労働者」としての立場よりも「社員」としての立場を優先させ、会社の解釈する「社益」絶対の価値観の下、右派メディアたる『週刊新潮』の、民族差別と事実歪曲に満ちた記事の尻馬に乗り、在日朝鮮人たる私に対して排外主義を発動しているわけである。彼ら・彼女らは、改憲後、「市民」としての立場よりも「国民」(「日本国民としての一体性」を前提とした「国民」)としての立場を優先させ、「国益」中心の価値観の下、右派との提携の下で、体制に対して批判する在日朝鮮人に対して<嫌韓流>に基づいた排外主義を発動させることだろう。

私は論文で、<佐藤優現象>を、「改憲後の国家体制に適合的な形にリベラル・左派が再編成されていくプロセス」、「「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセス」だと述べたが、執行委員会の行動から分かるのは、心性、メンタリティのレベルでは、「再編成」、「変質」は既に完了していることである。したがって、メンタリティのレベルで「再編成」、「変質」が完了してしまっているリベラル・左派が、現段階で、「論壇」における言説レベルで採っている形態が<佐藤優現象>だ、という言い方もできるだろう。逆に言うと、佐藤が「一流の思想家」だからリベラル・左派に使われているわけではない、ということでもある。

なお、『11月15日文書』『引用について』『カベ社より皆様へ』において、私がずっと言い続けており、論文からも読み取れるであろう問い、すなわち、「岩波書店が佐藤優を使うのはおかしくはないのか」という問いについては、一切言及されていない。やはり一貫して、「岩波書店が佐藤を使うことは変だ」という、「左」ではない人間でも抱くような疑問は、はじめから存在しないものとされている。集団転向が、集団による相互欺瞞によって、そして異論を唱えるものへの排除によって行なわれることが、今回の件によく現れている(注4)。

(注1)ブログ「アンチナショナリズム宣言」のエントリー「週刊新潮に援護される岩波書店『世界』 佐藤優という泥沼」(2007年11月29日付)では、『週刊新潮』の記事について、「週刊新潮が雑誌『世界』を擁護する事態こそ、当の論文(注・私の論文)の批判が正しいものであると証明されたといえる」と指摘されている。今回の、『週刊新潮』の記事の尻馬に岩波書店労働組合が乗って私を攻撃する事態は、この指摘の正しさに関するより鮮明な、確固とした証拠である。

(注2)
「壁新聞」編集部のこと。通常、執行委員2名および組合員若干名で構成されている

(注3)
馬場氏の文章は、『獄中記』に全く触れておらず、ここでの岩波書店労働組合執行委員会の叙述は、本来、言論として論じられるべきである馬場氏の文章を、あたかも「話題の本について」の、内部情報としての文章だったかのようにスリカエようとする印象操作である。

念のため、執行委員会が問題だと主張している、私の論文での引用部分を再掲載しよう。

「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立てどおりに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」(馬場公彦、岩波書店労働組合「壁新聞」2819号(2007年4月))

(注4)
岩波書店のある役員は、「岩波関係者」について社内調査しない理由として、「「岩波関係者」としか記述がないから、社員であるか著者であるか関係業者であるか分からない」ことを挙げている(なお、岩波書店は、『週刊新潮』に対して、記事に関して抗議しないとのこと)。だが、今回の執行委員会のヒステリーと、『週刊新潮』の記事の「岩波関係者」の「社外秘のはずの組合報まで引用されているのですから、目も当てられません」という口吻から、「岩波関係者」は、組合員、もしくは組合員と価値観を共有している職制以上の社員であるように思われる。

執行委員会のヒステリーの酷さから考えてみると、佐藤の、「社外秘の文書がこんなに簡単に漏れてしまう所とは安心して仕事が出来ない。今後の対応によっては、訴訟に出ることも辞しません」という発言も、『週刊新潮』の記者経由ではなく、組合員、もしくは組合員と価値観を共有している職制以上の社員から、佐藤が直接、話を聞くなり入れ知恵されたりしたように思われる。

実際、岩波書店内には、佐藤と親密な編集者は複数いる(『獄中記』終章参照)。もし佐藤が直接社員から聞いたのであれば、⑤でこの記事が佐藤の「怒り」の身振りから始まった可能性があることを指摘したが、ますますその可能性は高くなる。また、『週刊新潮』が、佐藤を激怒させたという人物について佐藤のコメントつきで取り上げるという形式は、2007年5月17日号の記事「朝日「AERA」スター記者が「佐藤優」に全面降伏」という前例がある。今回の記事について、仮に佐藤が『週刊新潮』に持ちかけたとすれば、④で指摘した「「岩波書店への社内問題」への矮小化」、⑤で指摘した「「佐藤優批判」へのすりかえ」といったスタンスの設定にも、佐藤が関与していたと見たほうがよいだろう。執行委員会のヒステリーは、佐藤の『週刊新潮』の記事への関与の深さに関して、重要な示唆を与えてくれている。

(金光翔)
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[ 2007/12/08 22:19 ] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)


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