スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

『週刊新潮』の記事について④:「岩波書店の社内問題」への矮小化 

 ②③では、取り急ぎ、事実関係の歪曲を正した。だが、『週刊新潮』記事の本質的な問題点は、私の論文「<佐藤優現象>批判」が、リベラル・左派全体が「国益」中心に再編されつつあることへの批判であるにもかかわらず、それを、「岩波書店の社内問題」に矮小化しようとしている点である。

 『週刊新潮』の記事は、『インパクション』第160号に掲載された私の論文のプロフィールには、「「1976年生まれ。会社員。韓国国籍の在日朝鮮人三世」としか記されていない。が、それもそのはず、彼には自らの経歴を明かせない“事情”があったのだ」とし、私が「現役の岩波書店の社員」であることが、自らの経歴を明かせなかった理由であるとする。

 だが、私が岩波書店の社員という肩書きを出さなかったのは、肩書きを出すことで「岩波書店社員の内部告発」「単なる岩波書店内部の問題」として自分の論文が読まれることを避けたかったためだ。そもそも、個人の資格で書く論文について、なぜ自らの会社の肩書きを出さなければならないのか?だいたい、リベラル・左派批判の論文に、私が岩波書店社員であることを明記していたら、「ここで書いたことは岩波書店社員としての観察・体験に基づいている。読者は私の主張を信じてほしい」と言っているようなものではないか。

 私としては、そうした先入観を与えた上ででなく、論文の論理それ自体のみにより、<佐藤優現象>が、リベラル・左派全体が「国益」中心に再編されていくプロセスであることを読者に説得したかったのであり、「自らの経歴を明かせない“事情”」など何もない。無論、『インパクション』編集部も、私が岩波書店社員であることは承知の上で掲載している。

 『週刊新潮』の記事は、「「佐藤優」批判論文の筆者は「岩波書店」の社員だった」というタイトルだけではなく、記事全体の叙述も、「岩波関係者」の発言を用いながら、この件を岩波書店社内の問題として矮小化する書き方で一貫している。頭のおかしい社員が岩波書店社内で紛争をおこし、社外に広がった事態を岩波書店が処理できず「社外秘の文書」まで漏らされ、岩波書店の管理能力のなさに佐藤優が「激怒」する、という構図である。

 「(注・金の)論文では、彼の上司も実名を挙げられ、批判されている」という記述など、そうした矮小化の典型例である。「上司」(そもそも、この人物とは同じ部署になったことがないのだが)批判ではなく、言論人でもある編集者の公開された文章が、現象を読み解くのに有意義であったから分析したまでのことだ。

 また、「社外秘のはずの組合報まで引用されているのですから、目も当てられません」という記述も矮小化の一つだ。佐藤の「論壇」の席巻によってどのような事態が起こりつつあるかを、佐藤を礼賛する立場から記述した編集者の文章の引用について、その編集者の記述内容自体ではなく、「社外秘」の文書の引用の問題として話がすりかえられている。いやむしろ、佐藤の、「社外秘の文書がこんなに簡単に漏れてしまう所とは安心して仕事が出来ない。今後の対応によっては、訴訟に出ることも辞しません」という発言を見る限り(これでどんな訴訟ができるというのか)、私の論文による<佐藤優現象>批判、佐藤批判の妥当性の問題が、「社外秘」の文書の引用の問題にすりかえられている、と言えよう。

 そもそも、労働組合の文章の引用をなぜ不当とするかが理解に苦しむ。これは、社内の食堂で、岩波書店労働組合が掲示している文書であるが、食堂を訪れる岩波書店の執筆者や、社外関係者も見るものであり、言論であることは間違いないのだから、それを著作権法の範囲内で引用することは問題あるまい。内容が内部情報や経営に関わることであればさておき、今回引用した記述内容がそれに該当しないことは明らかである。ましてや、この編集者は過去に自らの著作や論文を公刊しており、言論人でもあるのだから、私の引用が不当だというのであれば、「社外秘」がどうかという次元ではなく、私が彼の記述内容に対して下した評価に言論で反論すればよいだけの話だ。

 こうした矮小化の背景には、佐藤を重用するリベラル・左派に対して全面批判した、私の論文の影響を封じ込めようという、佐藤の意向が働いているように思われる。佐藤は私の論文について、「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり、絶対に許せません」と発言しているが、一体、「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いたところは具体的にどこなのか(論文では、佐藤の発言のほとんどに典拠を示しているので、どこを指しているのか未だに分からない)、また、どういう点を指して「滅茶苦茶」で「言論を超えた私個人への攻撃」だとしているのか明らかにすべきである。

 事実の歪曲に満ちた、問題を矮小化する記事に協力(佐藤自身がけしかけた?)することこそが、言論を超えた個人への攻撃なのであって、佐藤が私の論文に異論があるならば、岩波書店への(求愛的)恫喝などではなく、言論を用いて「反論」すればいいだけの話である。『インパクション』が嫌ならば、「超売れっ子作家」なのだから、「反論」する雑誌などいくらでもあるはずだ。

(金光翔)

スポンサーサイト
[ 2007/12/01 19:43 ] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。