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岩波ブックレット『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』をめぐる一件 



1.

岩波書店が「解雇せざるをえない」通知を出してきていることは既述のとおりだが、このような措置は、そのすぐ前の2月2日に出された、私の個人ブログ「私にも話させて」の記述に対する修正・謝罪要求と連続的なものと見るのが妥当であると思われる(これについては過去にも書いた)。

岩波書店が、「自社の出版物の社会的信用を貶め、会社の名誉と信用を守る義務を負う社員の記述としてはなはだしく不適切」として、ブログ上での訂正と謝罪の告知を求めている箇所は、以下の記述である。

「左派ジャーナリズムは、ブラック・ジャーナリズム的再編の方向に――佐藤優と癒着する岩波書店も含めて――向かっているようである。」(「論評:佐高信「佐藤優という思想」③ ブラック・ジャーナリズム化する左派メディア」2009年8月10日)

「『世界』はどうも、このあたりの政治家や官僚・支持勢力のためのプロパガンダ雑誌になってしまっているように見える。」(「陰謀論的ジャーナリズムの形成(3) 佐藤優の売込みを図る岡本厚『世界』編集長」2010年2月1日)

「『世界』その他リベラル・左派ジャーナリズムの、陰謀論的ジャーナリズムへの移行」
「『世界』その他リベラル・左派ジャーナリズムがよりファッショ的な形で、プロパガンダ機関化しつつあること」(「陰謀論的ジャーナリズムの形成(4):新しい段階へ――『世界』2010年3月号雑感」)2010年2月28日)

私は、会社に対しては、社員といえども批判を含めた自由な言論活動が認められるべきであることは自明であり、また、記述は公正な論評であるので、謝罪・訂正要求に応じる気はないことを既に伝えている。そもそも上記の抜粋部分のそれぞれの元の文章を読めば、それらが公正な論評であることは文脈的にも明らかであると考えるが、今回は、新しい事実を明らかにすることによって、上の私の懸念が正当なものであることを公的に示すこととする。



2.

2005年8月2日に、岩波書店が岩波ブックレットの一冊として刊行した、『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』という本がある。 井筒和幸、井上ひさし、香山リカ、姜尚中、木村裕一、黒柳徹子、猿谷要、品川正治、辛酸なめ子、田島征三、中村哲、半藤一利、ピーコ、松本侑子、美輪明宏、森永卓郎、吉永小百合、渡辺えり子という面々の計18名が書き手となっている本である。

私は、この企画を聞いて、最初非常に驚いた。『論座』2005年4月号に掲載された山口昭男・代表取締役社長へのインタビュー記事(「インタビュー いま声をあげなければ将来に悔いを残す」)においては、護憲または改憲反対について一言も言及されていないし、鶴見俊輔・大江健三郎ら9名によってはじめられた「九条の会」に対しても、設立メンバーのそれぞれが著名な「岩波書店の著者」でありながら、積極的に協力する、ということは行なっていない。管見の範囲では、会結成の声明が『世界』に掲載されたこと、同会の呼びかけ人による岩波ブックレット『憲法九条、いまこそ旬』が刊行されたこと(2004年11月)くらいである。私は当時、「九条の会」に期待を寄せるところ大であったため、『世界』が「九条の会」の活動をほとんど応援しないことに苛立っていたものだ。これは、当時の「九条の会」と『世界』では論調が異なっているためであると私は認識していた(今はもう主張は大差なくなってきているが)。実際、当時の社員との会話でも、「「九条の会」は共産党系だから・・・」という声をよく聞いた。したがって、当初、タイトルもまだ明らかになっていない時期に、大がかりな形で護憲の本を刊行して売っていくらしい、という噂を聞いた時、意外に思うと同時に、大歓迎したものだった。後にその期待がいかに浅はかなものであったかを思い知らされることになるのだが。

ところで、この本が(一部の)注目を浴びたのは、その内容よりも、むしろその広告展開の形態であろう。

この本は、異例なことに、全国42紙に一面広告が出された。広告コピー・デザインは複数あり、下の「コピー別掲載紙一覧」にあるとおり、どのコピー・デザインを使うかは掲載紙ごとに判断された。岩波書店ホームページにその一覧が掲載されているので、まずはご確認いただきたい。

http://www.iwanami.co.jp/kenpou/ad/adgaraley.html


ところで、刊行時、東京新聞2005年8月27日付のコラム「大波小波」は「岩波変身」と題した記事を書いている。後述の内容とも関連してくるので、全文を引用しておこう(強調は引用者、以下同じ)。


「八月初の「憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言」という岩波書店の全面広告に一驚した人は多いだろう。五十紙近くに打っていたから、広告費は億になるし、一冊五百円の同名のブックレットを売ってそれを回収するなら、硬派出版の常識ではちょっと考えられない部数を刷ることになる。/これまでの岩波らしからぬ決断だし、広告手法だ。そして、これは朝日新聞だってやっていない。/思えばこれは凄い意味を持ちうる。ずるずると憲法改定の方に流される世相に抗して、岩波は現憲法の価値擁護を、社是に近い形で表明したことになるし、言論の世界で、社として闘うぞ、と言ったのだ。カッコいいじゃん。/探りを入れたら、これは社内では秘密プロジェクトとして進行していて、メンバーが誰かも、他の社員は知らないという。そこまでやらないとできないことか?とちょっと苦笑だが、動く予算を巡って起こりうる社内の異論などを考えると、それは必要だったのかも知れない。/『世界』出身の若い社長、山口昭男氏が当然ながら背後にいるわけだ。アカデミズムの同伴者と、独自のジャーナリズムが両極の岩波が、乱世の中、もう一歩、ジャーナリズム志向を強めた。(枡席)」


岩波書店ホームページでは、ジュンク堂書店がこの本が積まれている脇に、「岩波は赤字覚悟です。それでも今、出版すべき本がある。」という販売促進用のポップを置いていることを紹介しているが、これは岩波書店自らが、この本の刊行と広告展開について「赤字覚悟」であるとの認識を容認していることを意味している。

これだけの広告を展開するのに見合う売上部数は、この種の憲法関連本からすればあり得ないような規模になることは明らかである。したがって、普通の販売形態であれば、「覚悟」どころではなく、これが大幅な「赤字」になることははじめから明らかである。大企業で、資金的に大幅に余裕があるならばそのようなことも可能かもしれない。だが、当時の岩波書店(今もだが)は、そのような状況には全く無い。一例を挙げれば、当時の岩波書店労働組合の発行物でも、以下のように指摘されている。

このところ、「会社はゆっくりと死に向かいつつあるのではないか」「会社が漬れる時とはまさにこういう時ではないか」などと本気になって心配する声を耳にするようになった。確かにそうだ。数字的な厳しさは以前より増しているにもかかわらず、組合も含めて会社全体に何となく危機感が薄れてきてしまっているような感がある。衰退の危機に向かっているというのに人を食ったような発言を繰り返す小泉首相、にもかかわらず暴動も起きないし、有力な対抗勢力も現われない今の日本の沈滞した状況とどことなく似ている。」(「岩波書店労働組合編集局職場新聞」2005年3月9日)

このような状況の会社が、「赤字覚悟」でこのような広告を展開することが常識的に見てありうるだろうか。

私は当時、宣伝部に所属しており、後藤勝次宣伝部長(当時常務取締役。現在は既に退職)に対して、これだけの広告をして、採算はとれると考えているのか、と質問したのだが、宣伝部長の説明は、「全面的に広告して、20万でも30万でも売る、という方針」というものであった。だが、仮に30万部売れたとしても広告費が回収できるかは甚だ疑問であったし、また、この種の本がこの程度の広告で30万部売れるとも思えない。後述するように、当時、大変真面目な(苦笑)社員であった私は、この件では別の面から大変憂慮しており、役員宛に意見書まで提出したのであるが、このような博打的なことをする体力は会社には全く存在しないと考えていたので、営業面に関しても当初は強く憂慮していたものだ。

だが、後述するように、これはもともと「赤字覚悟」では全くない、外部の大幅な買い上げを前提として刊行されたもの、または、そもそも外部の何らかの強い意志によって刊行されたものであるという疑義を強く持たざるを得ないものだったのである。そしてそれに伴って、種々の信じがたい現象が生じた。私は当時、宣伝部に在籍していたため、この件について他部署の人間より詳しく知る位置にいた。この件は、岩波書店がブラック・ジャーナリズム的再編の方向に向かっているのではないか、という私の推測の前提となっていたものであるので、会社から私のそうした記述が問題だとされている以上、この場で明らかにしておく。



3.刊行経緯の問題

この本の刊行経緯については、岩波書店労働組合が発行している年度報告書「活動の報告 明日の課題」2005年度版(2006年6月発行)において、以下のように記されている。


「05年度は8月に憲法についてのブックレット大型企画がありました。04年秋よりブックレット編集部内外の人員(7名→途中から8名)でプロジェクトチームを組んで進行してきました。従来にない製作体制・装丁・広告規模であり、このような編集体制も始めてのことで、大詰めになると緊急の招集も増えるなど、各人に負担となりました。」

だが、ここには書かれていないが、私がこのプロジェクトチームの一員であるAから直接聞いたところでは、この企画自体が、2004年にカタログハウス社の社長である斎藤駿氏から知人のAに直接持ち込まれたものであり、Aが、岩波書店経営陣にその件を伝達したことがそもそものはじまりとのことであった。Aは、後に佐藤優の本の刊行に積極的に携わるようになるので、もう書いてしまってもよいだろう。

Aによれば、斎藤氏の提案は、「九条の会」のような組織だけでは改憲の動きに対して対抗できないため、「九条の会」のようなものとは全く別の護憲の流れを作らなければならないこと(この認識はAも共有しているとのことだった)、そのために、資金は自分が出すので、一大プロジェクトとして、編集者などの人員は岩波書店が出し、岩波書店の書籍として刊行し、岩波書店という「ブランド」を全面的に活用して、広告代理店やデザイナーの協力の下、斬新かつ全面的な広告展開を行なう、というものだった。そして、岩波書店経営陣もその計画に同意し、このプロジェクトが開始されるに至ったとのことであった。

(より細かく話すと、当初Aからは、斎藤やカタログハウスの名前は伏せられて「からくり」の概要だけを話されていたのだが、私が、Aより上の役職者や、プロジェクトチームの別の人間らから斎藤の関与を聞き、Aに問い正したところ、上のような経緯を教えられたのである。)

そして、刊行からすぐ後に、この本はカタログハウス社の発行する雑誌『通販生活』2005年秋号の別冊付録となるのである。この件については、朝日新聞2006年2月15日付に、以下のような記事がある。


「「通販生活」  付録の「憲法特集」に賛否

 季刊誌「通販生活」(カタログハウス)06年春号に、憲法に関する企画への読者からの賛否両論が掲載されている。前々号の05年秋号に、岩波書店発行のブックレット『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』を別冊付録としてつけたことへの反応だ。(石田祐樹)

 「通販生活」(82年創刊)の発行部数は130万部で、付録は9割強を占める定期購読分にだけ付けた。雑誌本体では何も触れず、斎藤駿発行人の「ご挨拶」をブックレットにはさみ、雑誌と共に発送した。
 文面は「通販生活は(憲法九条を)『変えないほうがいい』と考えているので、同様の考え方をもつ18人の発言集を別冊附録としてつけることにしました」などと記す。「私たちは『九条を守る』よりもっと大切なことは、九条は変えないほうがいい。いや、変えたほうがいいよと、お互いにのびのびと持論を表明し合える『言論の自由を守る』ことだと考えています」とも。
 ブックレットは、護憲を主張する医師の中村哲、俳優の美輪明宏、吉永小百合ら各氏の言葉を集めているが、他社の出版物が付録になるのは異例。岩波書店と話し合い、裏表紙にある定価やバーコードは消した。 (以下略)」


ネット上で適当に検索すれば、「通販生活」購読者による、このブックレットを手にした際の感想がいくらでも読める。ある購読者によれば、斎藤氏の「ご挨拶」は、

「今後ますます、憲法九条をめぐる論争は拡がっていくと予測されます。「変えたほうがいい」という立場の雑誌もありますが、通販生活は「変えないほうがいい」と考えているので、同様の考え方をもつ18人の発言集(岩波ブックレット)を別冊付録としてつけることにしました。」

というものだったという。この購読者は、「定価180円のカタログ雑誌に税込500円の付録を付ける、これも凄い。」と驚いている。

単純計算して、「通販生活」発行部数130万部の9割=117万部数が買い上げられたとしよう。若干の水増しがあるとしても、これだけで、42紙1面広告の費用分、刊行に生じた諸経費分は十分に賄えるだろう。このプロジェクトは、もともと、この買い上げを前提として進められたものであるというのが、Aおよび「プロジェクトチーム」の別の人間、社内の責任ある地位の人物ら、社員約10名から聞いた話である。



4.タイトルの問題

本のタイトルと、広告のコピーは、コピーライターの前田知巳が考案し、広告デザインは、デザイナーの副田高行が担当した。このことは、岩波書店のホームページでも次のように記述されている。


「 この本の編集過程で重要だと思ったことは,次の3つでした.
  ひとつは,執筆をどなたにお願いするかです.憲法を身近に感じていない人に届くことばを持っている方を,まず,考えました.
  2つ目は,本文のレイアウトと装丁です.なによりも読みやすい,なによりも手にとりやすい,そのような本づくりに留意しました.
  そして3つ目が,書名です.
  前回のプレオープンの回でも書きましたが,今回,読者の方々から,「書名にひかれて購入した」という声を多数いただきまして,編集部一同,本当にうれしく思いました.じつは,編集部内で,100近い書名案を出して議論したのですが,なかなかこれ,というものにめぐりあえなかった,という経緯があります.

 今度の本は,その後,全面広告を新聞各紙に掲載しましたが,そこに掲載された8種類のコピーを創ってくださったのは,コピーライターの前田知巳さんです.
 前田さんは,キリンビールや宝島社の広告などでとても著名な方で,いままでに発表されたコピーには,見た人がドキッとしたり,びっくりするだけでなく,心に残って,見た人に何か考えさせてしまう力をもった作品が数多くあります.今回の企画で,ぜひお願いしたいと思っていた方でありました.

 また,今回は書名も広告の一部だと考えましたので,前田さんには広告をお願いするだけでなく,書名についてもお考えいただきました.

 そして案をいただいて,さらにそれをもとに編集部で話し合った末に生まれたのが,

『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』

でした.」
http://www.iwanami.co.jp/kenpou/hankyou/feature02.html


「ブックレットを刊行して,3ヵ月半.いまも,毎日,読者の方からお手紙をいただいております.ありがとうございます.
  そのお手紙のなかで,書名には最初びっくりさせられましたが,いいですね,という内容のことを何度も拝見しました.前にも書きましたように,書名には,いろいろと悩みましたので,このような感想をいただくと,編集部一同,励まされます.
  「9条」ということばを使うと,むずかしくて,遠いことのように感じられてしまうのでは,というところから,このことばを使わずに,このテーマだとわかってもらう,ということについて,いろいろと考えました.コピーライターの前田さんにも,そのあたり,ご相談しました.
  そして,いまの書名に!
  改憲は他人事ではない,だれもが当事者である,ということも問う書名になっているのでないでしょうか.
  さらにアートディレクターの副田高行さんが,この書名をどーんと打ち出した装丁を考えてくださいました.
  あの8種類の広告も,この書名と装丁があってこそ生まれたものだと思っています.」
http://www.iwanami.co.jp/kenpou/hankyou/feature26.html


このように、『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』というタイトルは前田の発案によるものだと岩波書店は述べている。それは事実であるが、ここで述べられていないのは、発売の少し前までは、同じく前田氏が考案した別のタイトルだったことである。

もともとのタイトルは、『憲法を変えて戦争に行こう――18人が語る、不戦・平和・憲法9条』というタイトルだったのであり、実際、このタイトルで刊行し、42紙一面広告を打つということで、それぞれの書き手との交渉や、電通経由での各新聞社への広告出稿申込が行なわれていた。

私は、こうしたブックレットが出ることは聞いていたが、タイトルがこのようなものになるとは全く知らなかったので、このタイトルで出ることを知ったとき仰天した。こんなタイトルで、本当に42紙一面広告を打つというのである。

ここで、はじめに挙げた東京新聞「大波小波」のコラムを思い出していただきたい。前述のように、「探りを入れたら、これは社内では秘密プロジェクトとして進行していて、メンバーが誰かも、他の社員は知らないという。そこまでやらないとできないことか?とちょっと苦笑だが、動く予算を巡って起こりうる社内の異論などを考えると、それは必要だったのかも知れない。」と書かれている。「動く予算」云々はコラム筆者の単なる憶測だが、「これは社内では秘密プロジェクトとして進行していて、メンバーが誰かも、他の社員は知らないという」という点は基本的に当たっている。

この42紙一面広告を打つということについては、当時、「宣伝部以外の人間には、たとえ相手が岩波書店社員であろうとも、現段階では口外してはならない。「社内秘」である」と宣伝部内で通達されていた。このタイトルで42紙一面広告を打つということは、宣伝部以外では、プロジェクトチームしか知っていてはならないとされていた事実だったのである。「社外秘」ならぬ「社内秘」という指示が下されたのは、入社以来、私の経験ではこの時のみである。恐らく、『憲法を変えて戦争に行こう』などという書名で、42紙一面広告という、岩波書店の企業規模では絶対にあり得ない、これまでも当然経験したことのない広告を打つことが社内で公にされれば、社内で猛反発が出る可能性があったので、著者からの了承を得るなどして既成事実化するために、こうした緘口令が敷かれたのだと思われる。

私は、このプロジェクトチームの一員であったAに、これは一体どういうことなのか、というメールを送ったところ、Aに社内の会議室に呼び出され、話を聞いた。

私が、こんなタイトルで本気で出すつもりなのか、Aはどう考えているのか等を問いただしたが、Aによれば、自分は当初外部から持ち込まれたこの話を聞いたとき、このようなタイトルになるとは全く思いもしなかった、プロジェクトチーム長もこのタイトルに大変乗り気であり、経営陣も、「護憲で知られる岩波書店が出す本なのだから、本気で「憲法を変えて戦争に行こう」という書名を出すはずがないことは広告を見た人には明らかであり、誤解をされるはずがない」と言っている。覆すことはもう不可能であり、自分もどうすればよいかわからない、とのことであった。

私は、6月半ばに、「憲法九条ブックレット(2005年8月4日刊行予定)の現行書名について」長文の意見書を役員(後藤勝次専務取締役)宛に提出し、このようなタイトルで刊行するのは絶対にやめるべきである旨を述べた。今から考えれば、まともに経営陣に何かを説得しようとしていた自分の浅はかさや、気負った文体に恥ずかしくなるが、当時の状況が文面によく表れており、また、このタイトルで出すことの問題点は一応指摘し得ていると思うので、いくつか抜粋する。


「 6月3日の総合企画検討会議にて、憲法九条ブックレットの書名が確定し、『憲法を変えて戦争に行こう ――18人が語る、不戦・平和・憲法9条』となりました。

 さて、これが通常通りの部数で刊行され、通常通りに宣伝・書店展開されるブックレットの書名ならば問題ないかもしれません(私は賛成しませんが)。岩波ブックレットの読者層はほぼ固定化しているからです。しかし、この広告規模を考えると、根本的に問題が変わってくると思います。

 そもそも、現行書名の考え方の背景には、以下の根本的な誤りがあります。

 まず、岩波書店の存在自体、また、たとえ存在は知っていても岩波書店の持つイメージ(「学術性」「進歩性」…)を知らない人間は極めて多いこと、特に若い世代の大多数には全然知られていないであろうことという極めて単純な事実が、現行書名の前提には欠けています。現行書名には、「岩波書店が出しているのだから、書名が誤解されることはないはずだ」という前提があると思われますが、大量の無関心層、特に若い世代に本を届かせようとしながら、そのような前提を持っているという出発点からして、根本的に認識が誤っていると思います。

 また、「憲法を変えて戦争に行こう」という主張が、もはや決して珍しいものではないという認識が欠けています。「この書名を見たらみんな違和感を感じてくれるだろう」というのは脳天気すぎます。推進派の人々は、たまには「2ちゃんねる」の政治・社会関係の板でも見て、現在のネットの言論状況を観察するべきです。一般メディアでも、もはやタブーでは全くありません。つい最近でも、たまたま見たのですが、後藤田正純衆議院議員は最近のTBSの深夜番組(企画工場『なりあがり』 6月2日0時55分より)で、憲法九条改正を主張する後藤田氏への「戦争に行く覚悟があるのか」という問いに対して、「ある」と答えていましたし、討論番組でも頻繁に聞く言説です。この書名を額面通りに受け取り、違和感を覚えない人はかなりの数に上ると思います。

 また、現行書名は、広告をある程度じっくり見てくれる人間を想定しているのではないでしょうか。これは、広告というものの性格に対する基本的な無知です。私たちが自分に関心がない商品広告を投げやりにしか見ないように、本の広告について、サブタイトルや宣伝文など気に留めず、書名と著者名、もしくは書名のみしか見ない人も大勢います。

 以上、3点の根本的な前提の誤りから、私は、以下の事態を強く憂慮いたします。

 一点目として、この書名と著者名を見て、著者として名前の挙がっている方々が本当に「憲法を変えて戦争に行こう」と主張していると錯覚する人の数が、日本全国で見れば、無視できない数にのぼると思われることです。私の感覚では、少なくとも見た人の2割(とすると数百万人?)はそう誤解すると思います。姜尚中や猪口邦子が国民のどれだけの層に知られているといえるでしょうか。この書名と著者陣を新聞で見て「ああ、井筒和幸もピーコも『憲法を変えて戦争に行こう』って言ってるな。やっぱり憲法は変えた方がいいんだな」と思う層は無視できない数で存在すると思います。また、新聞広告は、高校生・中学生・小学生も見るのであって、彼ら・彼女らの多くが現行書名を額面通り受け取るであろうことも明らかです。

 そもそも、このような事態が生ずることを前もって知っておきながら実施することは、企業倫理として本来許されないと思うのですが、仮に、この広告に対して、岩波書店が社会的公共性を欠いているとマスコミや一般人から批判された際、「額面どおりに受け取ってもらっては困る。岩波書店がそのような主張をするはずがない。サブタイトル等を総合的に判断すれば分かることだ」と居直れると思いますか?広告を念入りに読む義務などどんな読者にもないのですから、その回答は岩波書店の思い上がりであると、さらなる批判を浴びることは必定であると思います。付言しておけば、サブタイトルや宣伝文を大きくする、書名を小さく配置する等により、誤解の余地を少なくさせる対応も考えられますが、これが本末転倒であることはいうまでもありません。それでは何のための書名なのか。(中略)

 そもそも、アイロニーを理解できない人々は、世の中に山のようにいるでしょう。特に高齢者の間ではそちらの方が多数派では?吉永小百合やピーコ、黒柳徹子の名前を見て本を買ってくれるであろう人々は、高齢者の男女が多いはずなのでは?(中略)

 また、現行書名は、著者の方々に対して失礼ではないでしょうか。この書名は、著者の方々との相談なく、編集内部で決定されたと聞いています。著者の方々は、TVメディア等、出版界とは比べ物にならないほど護憲の立場に対して風当たりの強い状況に置かれているにもかかわらず、危機意識を持ってそれぞれ参加して下さったことと思います。それが、こんな上滑りのする書名でいいのでしょうか。現在、著者陣からの書名の了解の返答待ちと聞いていますが、私が憂慮しているような批判・嘲笑は、著者の方々へも降りかかると思います(基本的な疑問なのですが、42紙1頁広告のことは伝えているのでしょうか?単なる書名決定や「大々的な広告」とは根本的に違ってくる問題でしょう)。(後略)」


私の意見書は、聞いたところでは、全く省みられず、経営陣に嘲笑されて終ったという。いまだに返事ももらっていない。もちろん私の反対意見は全く考慮されず、『憲法を変えて戦争に行こう』というタイトルで諸作業は着々と進んでいった。

意見書提出とほぼ同時に、私は、意見書と同趣旨の文書を作り、『憲法を変えて戦争に行こう』というタイトルで42紙一面広告が計画されていることを記し、当時親しかった編集部の社員に渡した。もちろん「社内秘」を破っているわけであるが、この際やむをえないと考えた。この社員も、広告計画に驚き、文書をできるだけ社内で広めると約束してくれたが、これは私の明らかな人選ミスで、この社員は、他の社員だけでなく、親しかったプロジェクトチームの一員にこの文書のコピーを渡してしまい(説得できると考えたらしいのだが)、この人物がチーム長に文書を提出してしまった。激怒した別のプロジェクトチームの人間(前述の人間とは別)から、「地下活動」をやめろ、と抗議されてそのことを知ったのだが、いずれにせよこれで、社内で広めることは難しくなった。

仕方が無いので、当時は岩波書店労働組合員であった私は、岩波書店労働組合内部でこの件を問題化することを思い立った。私は、馬鹿正直にも当時の組合委員長にこの件について話した。

すると、この組合委員長は、そのプロジェクトの件はある程度自分も聞いているが、組合としては企画内容についてタッチできないからこれについても現段階ではできない、それが「社内秘」ならば、社員であれ部外の人間に伝えることは許されないことになるから、勝手に部外の社員に伝えるような行動をとった場合、組合からの除名もありうる、注意せよ、と私に述べた。

岩波書店と岩波書店労働組合の間で締結されている「労働協約書」には、「会社の従業員は原則として組合の組合員でなければならない。また組合を除名されたものは従業員であることはできない」とあり、私は、別の組合を結成してしまえば岩波書店労働組合のようなユニオンショップ組合を脱退できることが判例で確定していることを当時知らなかったので、組合内部で問題化するのは諦めざるを得なかった。ちなみに、この委員長は、委員長職を三期務めて任期を2006年6月に終えた後、編集部から2007年11月に宣伝部に異動し、2008年4月に、宣伝部課長に就任している。

あとに残された、『憲法を変えて戦争へ行こう』というタイトルで刊行されることが覆る可能性は、著者からの強い反対があった場合のみである。確認の際に、各編集者が42紙一面広告の説明をしていたかも不明確なのであるが、姜尚中をはじめ、ほぼ全員が同意したという。ピーコは、「こういうタイトルは本当はよくないと思うんだけど・・・」と言いながらも、出版社がそういうならば仕方ないとして呑んだという。

ところが、ただ一人、吉永小百合が頑強に反対し、このタイトルならば自分の原稿は引き上げる、と最終的に通告してきた。吉永のネームバリューが勘案された結果、タイトルがやむをえず変更されることになった。それで、前田氏がタイトルを改めて考え直した結果、『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』という現行のものになった、というのが私がプロジェクトチームの人々から聞いた話である。

ただし、当時、刊行直前になって書名が変更された理由は、公的(宣伝部部会)には、「再検討の結果」とごく簡単にのみ説明されており、著者から反対があったとは言われていない。



5.キャッチコピーの問題

ところが、問題はまだ終わらなかった。刊行日直前の7月中旬、42紙に出す新聞広告の複数のキャッチコピーが正式に宣伝部内で伝えられたのだが、その中に、とんでもないものがあることが判明したのである。

このキャッチコピーについては、『広告批評』2005年9月号で、天野祐吉、前田、副田による鼎談において存分に語られている。以下、該当箇所を見てみよう。


「天野 次にこの広告のすごいところは、日本中の新聞に、つまり中央紙・ブロック紙・地方紙の計四十二紙に一斉に掲載されたということですね。しかも、コピーとデザインが何種類もある。

前田 全国の新聞四十二紙に掲載する広告なんて、まずないですよね。この前向きな異常さを生かさない手はないだろう、と思ったんです。例えば、朝日新聞と産経新聞の性格は違う。じゃあ、朝日に一番いいのはどれだろうと。これは、そういうかけ算ができる機会だなと考えました。

副田 前田くんが「この新聞にはコレ、この新聞にはコレ」って。ほぼそれで、実際に掲載されましたね。後日談で、岩波のほうに、「なんで、ウチの新聞はこのコピーなんですか」という問い合わせがあったみたい。

前田 景気が悪いことすら、改憲問題に行っちゃってる感じは絶対あって、「いろいろうまくいかないうっぷんを、憲法九条にぶつけてはいけません。」というのは日経にいいかな、とかね。

天野 もともとメディアというのは、人間をタイプ別というか、好みや資質別に分けてくれていますからね。「見上げれば 爆撃機が 飛んでこない 青い空」は、どこですか?

副田 これは読売です。最大部数にやろうって。で、やっぱり朝日は「およそ5000万人が死んで、今の日本国憲法は生まれた。」なんです。僕は朝日の読者だけれども、もうコレだって思った。「5000万人~」って前田くんからコピーをもらったときに、びっくりしちゃって。いまの日本人の半分近い数ですからね。すごい数字ですよ。

前田 これ、この前の大戦の全世界での死者数なんですが、僕も知らなかったんです。諸説あるんだけど、調べたら、この数が一番信憑性があった。この仕事がきっかけで思ったことがあって、よくいまの憲法は押しつけの憲法だという言い方をしますね。それを、「そんなんじゃない」と言ってしまうと、そこで終わってしまう。「確かにそういうところもあるけれど、でもこれって歴史の必然だよね」というように、大勢死んだことも含めて何か見えない作用があって、日本国憲法は生まれてるんだと思ったほうがいいんじゃないかと考えたんです。“5000万人”は、じゃあ一体、そこにはどういう経緯があったのかということで調べていたら、出てきた数字です。

副田 この広告が出た日に、地方の人から岩波に電話があったらしい。「これを自宅の前に貼りたい。ポスターとして、売ってくれませんか」って。この新聞広告が出た8月の初めの頃、広島や長崎のこととか、戦後六十年関連のいろんな番組やニュースをやっていましたけど、もう本当に戦争体験者の年齢が高くなっているから、当時のことを聞けなくなっちゃうんですよね。

前田 だからまさしく、「戦争を体験したおじいちゃん、おばあちゃんがいる人は、今のうちに、いろいろ聞いておこう」は、中国新聞と長崎新聞に掲載して。

天野 自民党が先日出した憲法改定試案は、自動的に集団的自衛権を認める方向にいってますね。そうなれば、イラクにもどんどん武器を持って行くことができる。だから、「『たとえ戦争になっても、戦いに行くのは他人』だと、思っていませんか?」というコピーはますますリアリティをおびてきますね。コピーは全部で八種類ですか。

前田 プレゼンしたのは、十七本です。今回使ったのは、八本。

天野 「確かに、ムカツク国はある。だからこそ、キレてはいけないのです。」。これは掲載されなかったんですか。すごいな。

前田 それ実は、この中で一番、今回の趣旨を具現化した言葉だったんです。「ムカツク国」は、どの国だっていいんです。ある人はアメリカだろうし、ある人は中国だろうし。いま外交的に、「ムカツク。なんで日本は言われっぱなしなんだ」という風潮があって、その気持ちは気持ちとしてわかるよと。でもなぜだかいままでの護憲モノって、「世界はみんないい国だ」みたいな前提が多くて、やっぱりそういう頑なさはリアルじゃないと。しかも、「ムカツク」とか「キレる」とか、これまでの岩波にはないボキャブラリーだったので、それも意味があるんじゃないかと思った。

副田 「例外は例外を生み、やがて、例外は例外でなくなる。」も、いいんだよね。

天野 集団的自衛権は、必ずこれになる。

前田 そうですね。これはコピーとしては硬いんだけど、普段から意識がある人にはピンと来る、というような一本があってもいいんじゃないかと。

副田 使われなかったけど、「そして、子孫から恨まれよう。」が、個人的にはやりたかったな。これって、高田渡の「自衛隊に入ろう」だなって。本のタイトルがネガティブアプローチで、コピーもネガティブにしてるところが面白い。デザインも、表紙の部分を小さくして、コピーの部分を大きくしてみたり、そのくらい、わざとメリハリをつける。広告としては、もはやユーモアアプローチですよ。はじめにこの広告を作るとき、僕らの中で、新聞の中に15段の一発で成立するものでもいいし、例えば1段ずつ、数ページをジャックするのもいい、なんて考えてたんです。そういうことを、自由にやってもいい広告じゃないかって。新聞の1段、2段という段数を利用して、突き出しから15段の間を、3段と12段、5段と10段というようにブロックに分けて、掲載する本数が多ければ多いほど、ブロックのグラデーションを作れる。最終的には、15段でワッと出すという方法になりましたけど、デザインもいろいろやってみていました。」


上で前田が述べているように、読売新聞で実際に出された広告のキャッチコピーは、「見上げれば 爆撃機が 飛んでこない 青い空」だった。ところが、実は実際の広告掲載日直前まで、別のキャッチコピーが掲載される予定だったのである。それが、上で前田が「実は、この中で一番、今回の趣旨を具現化した言葉だった」と述べている、「確かに、ムカツク国はある。だからこそ、キレてはいけないのです。」である。変更が決定したのが、刊行日(8月2日)および読売新聞広告掲載日(8月4日)直前の7月29日であったという事実からも、このコピーが掲載される可能性がどれほど高かったかが分かるだろう(デザインは、この記事のトップに掲載しているものである。なお、これは、上記の『広告批評』2005年9月号に、不採用のデザイン例として掲載されている)。

私は、読売新聞に出す予定の広告を見た際に、驚愕した。前田は上の引用で下らぬ弁明を述べているが、「ムカツク国」が北朝鮮を指していると一般的に解釈されることは明らかであり、岩波書店が、実質的な意見広告の形態で、公然と「ムカツク国」だと述べているのであるから。

2002年9・17以後の北朝鮮バッシングの中で、この時点まで、相対的に、岩波書店の刊行物がその流れに批判的な本を出していたことは明らかである。だが、こんな広告が出ては、「あの岩波も北朝鮮を「ムカツク国」だと宣言している」ということになるだろう。そのことの社会的影響は明らかに甚大なものである。ましてや、こんな広告が、強い政治的・軍事的緊張下にある時期に出されるのである。

しかも、一企業体が、特定される国を「ムカツク国」だ、などと宣言すること自体が明らかに異常である。

また、このキャッチコピーは明らかに著者の了解をとっていないと思われた。この点は、後藤部長の回答は極めて曖昧なものだった。例えば、当時の姜尚中ならば、このキャッチコピーで広告することを伝えられれば拒否していただろう。

私は、宣伝部部会で説明を受けた際、このキャッチコピーについて、「これでは岩波書店が北朝鮮か、中国を指して「ムカツク国」と言っていることになるのではないのか」と質問したところ、後藤部長は、「そんなことはない。それは見る人によって違う。ある人にはアメリカかもしれないし、北朝鮮ととる人もいるかもしれないし、人それぞれだ」と回答した(今から考えれば、上で引用した前田の弁明と全く同じである)。だが、いつもは従順な他の宣伝部員たちも、今回は私が意外に感じるほど批判的で、「これは明らかに北朝鮮を指している。よくないのではないか」という声が複数出されていた。雰囲気としては「このキャッチコピーはまずい」というものであったが、後藤部長は上の説明を繰り返し、異論は意見としては聞いたが、これは確定方針であることを述べた。このキャッチコピーについても「社内秘」であり、実際に新聞に掲載されるまで、他の社員には口外してはならないとのことであった。

私は早速Aに連絡し、一体どういうことなのか、と聞いた。Aは、「でも、北朝鮮は「ムカツク国」だよね」と言うので(今から考えれば、Aが後年、佐藤優の本を手がけるようになる予兆でもあるが)、「そういう問題じゃないでしょう」と反論したのだが、Aによれば、プロジェクトチーム内にもこのコピーについては反対意見もいくつかあったが(Aは否定も肯定もしなかったらしいが)、チーム長の強い意志で決定された、とのことであった。もう時間もないし、変わることはないだろう、というのがAの意見であった。

私は途方に暮れてしまったのだが、まずは、社内の人間にこのことを知らせることにした。私は、このキャッチコピーの広告を複製し、今度は前回の教訓を生かして、如才なさそうな人に渡した。この人物も「これを出すの!?」と驚愕しており、周りの人間に知らせてみる、と言ってくれた。

これではまだ全然足りないと考えた私は、『世界』の岡本厚編集長にも伝えてみることにした。岡本編集長は、当時は役員ではなく、この広告計画についても知らないはずだったからである。

私が『世界』編集部を訪れたところ、幸い、部屋には岡本編集長だけがいた。私は自己紹介し(この時が岡本編集長とまともに会話をした初めての機会だった)、一応この広告案は「社内秘」ということになっているが、自分が非常に問題であると考える広告案がまさに掲載されようとしており、今回の42紙一面広告が実質的には会社の意見広告のような性格を持っているので、事前に『世界』編集長にも伝えておくべきであると考えるため見せる旨を述べた。

岡本編集長は、「ちょうど自分は今、出張から帰ってきたところで今メールをチェックしたところなんだけれど、別の社員からも、多分あなたが問題にしているのと同じものについてのメールが来ていた」と言ったので、「これがそれです」と、複製を見せた。

岡本編集長もやはり現物を見て驚き、すぐ、「これはまずいよ、まずい」といい、直接社長に止めさせるよう掛け合う旨を述べた。岡本編集長は、複製を持ってその足で掛け合いに行った。

後日聞いたところによれば、このキャッチコピーについては、岡本編集長以外にも社長宛に反対意見がいくつか寄せられており、社長が最終的に決定して、これは取りやめになった。

実は、このキャッチコピーの問題については、論文「<佐藤優現象>批判」の「注(49)」でも取り上げている。

「(49)この「5」で挙げた論点から考えると、注(24)で指摘した「護憲派のポピュリズム化」と〈佐藤優現象〉との問題の同質性を確認することができる。例を挙げよう。井筒和幸ほか『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための一八人の発言』(岩波ブックレット、二〇〇五年八月)は、一八人の著名人のメッセージが掲載されており、二〇〇五年八月上旬に、中央紙・ブロック紙・地方紙の計四二紙に一頁全面広告で掲載されたが、この広告で使われようとしたキャッチコピーで「今回の趣旨を具現化した言葉」として挙げているのは、「確かに、ムカツク国はある。/だからこそ、キレてはいけないのです。」である(ただし、実際には採用されなかった。「今月の広告時評 憲法九条を広告する」『広告批評』二〇〇五年九月号)。ここでの「ムカツク国」が、北朝鮮を指していると一般的に解釈されることは、二〇〇五年八月時点において(そして現在でも)、議論の余地はない。ここには、〈佐藤優現象〉と同じ、北朝鮮を「敵」として自明視する姿勢が、鮮明に表れている。無論、こうした広告が世に出た際に、在日朝鮮人が被る被害への呵責の念など欠片もあるまい。」

論文が掲載された『インパクション』刊行時に、岩波書店経営陣・岩波書店労働組合(こちらにはプロジェクトチームのメンバーが多数所属している)が常軌を逸した弾圧・嫌がらせを仕掛けてきたことはこのブログでも既に述べているところであるが、上の一節を自分たちへの批判と彼ら・彼女らが捉えたであろうことも、一つの原因だと思われる。



6.斎藤駿のエッセイとブックレット・プロジェクト

ここで、カタログハウスの斎藤駿が『軍縮問題研究』2006年5月号に発表したエッセイ「そろそろ、信念から戦略へ――説得力のつくり方」を紹介し、検討しておこう。実は、私は今回の記事を書くにあたって、斎藤のエッセイを読み、このブックレット・プロジェクトとのあまりの符合ぶりに驚愕したのだが、これは、後述するように、このブックレット・プロジェクトとほぼ同時期に始まったリベラル・左派内の<佐藤優現象>を考える上でも示唆に富む内容である。

斎藤は、このエッセイを、「◇「北朝鮮の脅威」に正面から向き合わないと。」という節見出しから始めている。


<◇「北朝鮮の脅威」に正面から向き合わないと。

私が発行人をつとめているカタログ雑誌(通販生活)は護憲を標榜しているので、改憲を支持する読者からの批判のお手紙をいただく機会が多い。かなりの量のそれらを読んでいてつくづく痛感することは、当り前の話だけど、批判派もまた護憲派と同じく「戦争はまっ平だ」という気持を表明していることだ。多くの読者が「改憲支持と言うと護憲派の人たちはすぐに戦争好きと決めつける」と嘆いている。私たちは改憲派というと「外交のために軍事的抑止力は必要だ」とか「国益のためには戦争も辞さない」と広言する政治家や評論家ばかりを連想しがちだが、市民レベルでは護憲派とちょっとの差異しかない改憲派が多いのだ。(むろん、勇ましい政治家や評論家の言にのせられてしまうニッポン・チャチャチャの若者はかなり存在すると思うけど)

ちょっとの差異とは、言うまでもなく「北朝鮮の脅威」だ(国民の間に「中国の脅威」がひろがっているとはとても思えないので、こちらについては言及しない)。隣国が現実にテポドンを発射し、拉致事件をおこし、不審船うろうろ事件をおこし、核保有国願望を表明しているのだから、これを「脅威」=「不安」ととらえるのは当然の感情だ。

ところが、護憲派の多くの人たちはこの不安を一笑に付してしまう。

「アメリカの軍事力には依存しない、自衛隊は解消するでは無責任すぎない? 丸腰でいて、万一、北朝鮮が攻めてきたらどうするつもり?」

――どう考えても、攻めてくる理由がない。バカバカしい。

「でも、万一、攻めてきちゃったときはどうするわけ?」

――攻められない状況を外交(六ヵ国協議)の力でつくっていく。

「万一、その外交を無視して攻めてきたときは?」

――視聴率狙いのテレビ報道に踊らされないでよ。

「将軍様の抑えが効かなくなって、万一、軍部が暴発しちゃったら……もう、いいや、きみたちとは話が通じない」

こうして、かつての護憲派はどんどん改憲派へ転向していってしまう。私も身近かで何人もの転向事例を経験している。
いま、わが国を徘徊している「北朝鮮の脅威」は、かの国の軍事力よりも、拉致事件に象徴されるような金正日体制の異常な秘密主義から生まれているとみるべきだろう。

極端な情報不足が私たちの不安を増大させている。この情報不足からくる不安を理性の力や不戦の信念で補って解消できる人は残念ながら極少数派なのだ。「北朝鮮は侵略してこないだろうという意見は希望的観測だろ。侵略してこないというのなら納得できる根拠を示してくれ」というのが素直な国民感情なのだ。

北朝鮮の「脅威」なんて一種の恫喝外交なんだろうと私は考えているけれど、拉致事件が恫喝外交かよと言われると答えに窮する。ミステリーの国北朝鮮を相手にして、「脅威」が存在しないことの「納得できる根拠」をひき出す力は私にはない。だれにもないのではないか。「いずれ金正日体制は崩壊するさ。いっときの隣国状況で憲法九条が左右されてたまるか」と言う人もいるだろうけど、崩壊したらしたで、その先を予測できる人はいない。軍部の中から第二の金正日将軍が出てくるかもしれないし、改憲派がよく口にする「武装難民が侵入してくるぞ」かもしれない。予測できないから中国も韓国も仕方なしに金正日体制を支えようとしている。「万一」の不安が解消する見通しは一向に立てられないのだ。

9・11同時多発テロによってアメリカの空気が一変してしまったほどの変りようではないけれど、拉致事件発覚以後、平和憲法をめぐる世の中の空気は確実に変ってきた。人々の憲法九条を見る視線は、拉致事件以前と以後ではずいぶん変ってきた。

これからの護憲運動は、この空気の変りようを意識するところから組み立て直さないといけないのではないか。


<今日の非武装論に必要なのは、拉致事件の発覚以後、急速に拡大している隣国への不安に対する心くばりだ。

理念のことばは未知(未経験)だからわかりにくくて不安。

現実のことばは既知(経験)だからわかりやすくて安心。

理念と現実がロゲンカをしたら現実派のほうが優位に決まっている。未経験よりは経験を信じる人の割合のほうがよほど大きいからね。人の多くはつねに現実を媒介して理念を信用する。相手を納得させる説明は「純粋理念」ではなくて、「直近の現実をとりこんだ理念」から生れてくる。

にもかかわらず、改憲側があおる「北朝鮮の脅威」を「あり得る」と考え始めている人たちの不安、「あり得るかも」と迷っている人たちの不安に対して、いま、護憲側は不安を一掃できることばをつくれていない。その結果、護憲派との差異がちょっとしかない人たちをどんどん改憲の側に押しやっている。

護憲側の世論形成活動といえば、気の合った同士の相も変らぬ理念ワンダフル集会、国民があまり読みたがらない理念的発想の新安全保障法づくり、同じく理念型の無防備地域宣言活動、同じく理念先行の東アジア共同体づくり、それと……あ、もうないか。理念がいけないと言ってるんじゃないよ、不安(情)への配慮を欠いた理念の無神経を言ってるんだ。説得って、相手の気持がわからないと成り立たないものなのに。>


また、斎藤はこのエッセイの中の、「◇ワンフレーズにはワンフレーズで対抗しないと。」なる節では、以下のように述べている。


<◇ワンフレーズにはワンフレーズで対抗しないと。

私の本業は商品を広告化(情報化)して販売する通信販売だから、一年中、キャッチフレーズをつくっている。キャッチフレーズというのは、商品説明文(ボディコピー)を読んでもらうためのきっかけをつくる第一声のワンフレーズ。

このキャッチフレーズがバカにならない。売上げはキャッチフレーズにかなり左右されるからだ。いま売っているニュージーランド製の羊毛の敷毛布を例にとると、一枚にメリノ羊一頭半ぶんの毛量を使っていて、さらに毛足が三センチもあるから、眠っている間の体温がそのフサフサ毛量にためられてとても暖かい。それで最初につくったキャッチフレーズは商品の特長をそのまま反映させた、

「これは暖かい!敷毛布一枚にメリノ羊まるまる一頭半ぶんの羊毛を使っている贅沢」

でも、これではあんまり売れなかった。いまの消費者、ただの品質自慢には食傷しているから、この程度では立ち止まってくれない。そこで奥の手を出した。

「電気毛布は余計な水分を奪うからのどや肌がカサカサする。やっぱり電気熱より体温熱がいい!」

ライバル商品を叩いて優位性を誇示するフレーズ、もっと露骨に言ってしまうと、ライバル商品に内包されている不安をかき立てるフレーズ。これにさし替えたとたん、売上げは二倍近くにふくれ上がった。足を止めてボディコピーを読んでくれる消費者の数が格段に増えたってことだね。キャッチフレーズの影響力はこのくらい大きい。

このキャッチフレーズ効果をフルに活用したのが前回の小泉郵政選挙だった。>


相手が不安醸成型キャッチフレーズ戦術で仕掛けてくるのなら、遠慮することはない、こちらも同じように不安醸成型キャッチフレーズ戦術を展開して対抗していけばいい。子どもや若者の生命を脅かす危険が現実のものとなりかかっている正当な不安が存在するのだから、その不安をかき立てて、どこが悪いの?堂々とかき立てていいのだ。私の「電気毛布は余計な水分を奪いすぎる」だって、正当な不安だから使っているのだ(こんなところでお前の商売を正当化してどうなるんだってか、ごめんごめん)。

あっちが「日米同盟の軍隊を持たないで妻子が守れるか」と言うのなら、こっちも「日米同盟の軍隊が海外へ出ていったら、妻子が守れるか。銃後(死語が生き返ったね!)にスペインやロンドンみたいなテロの危険がふりかかる」と言い返してやればいい。あるいは「アメリカの軍産複合体のために日本の若者の血を流すなんて、まっ平」とかね。

でも、こんなふうに言うと、すぐに猛反発がやってくる。

「冗談じゃない、情を刺激することばで不安をかき立てるなんて邪道だよ。相手と同じ土俵で争っちゃいけないんだよ」

それこそ、冗談じゃない。

護憲派の多くは、情(感性的認識)は理や知を曇らせると考えているみたいだけど、説得に情と知は不可欠だから、昔から「知情合一」と言われてきたのだ。一〇人中九人が「九条を変えるなんてとんでもない」と言っていた時代をふり返ってごらん。その時代の多数派は戦争経験者だったろ。当時、九条の理念は経験という情だったから支持を集められたのだ。「冷戦に加担するなんて冗談じゃない、もう戦争はこりごりだよ」という経験が九条を支持するエネルギーの源泉だったはずだ。昔は護憲派だって「再び、わが子を戦場に送るのか」と情に訴えるキャッチフレーズを愛用していたのだ。

知だけでは人を説得できない。いや説得できないことはないけれど、きわめて少数の人しか説得できない。

九条の攻防戦はことばの戦いなのだから、説得力のある知情合一のことばをつくり出すためには、政党人のことば、学者のことば、文学者のことば、運動家のことばに頼ってばかりいてはだめだ。日頃、ことばの力で世間の評判をつくっている広告人のノウハウをもっとどんどんとり入れないとだめだ。

広告のノウハウとは、ことばのつくり方と使い方をセットで捉えることば遣い。どんなことばを、いつ、どこで、だれに使うか、一ヵ月に何回くらい使うか。反応のにぶかったことばは素早く別のことばにさし替える。

「郵政民営化、賛成か反対か」にしたって、ことばの力だけで一人歩きできたわけじゃない。ことばの使い方、つまりメディアの使い方と連動して定着していったのだ。メディアの使い方という問題に直面するとき、護憲陣営の戦略の立ち遅れはさらにはっきり見えてくる。>


また、斎藤は、このエッセイの最後の方で、以下のようにも主張している。


<もし、護憲の各党各派が一堂に集まって統一的な戦略センターをつくると決めてくれさえすれば、手弁当で馳せ参じてくれる護憲の広告人はいっぱいいるよ。いまはどこへ馳せ参じたらいいのかわからないから動けないだけ。

もし統一的な戦略センターをつくれれば、いざ国民投票で決戦となったとき、護憲の広告人たちによびかけて、この戦略センターをメディア担当、マニフェスト担当、キャッチフレーズ担当、反論担当、マーケティング(調査)担当、広告塔・応援団(著名人)担当などの部署をもつ「九条広告代理店」に変えてもらうのだ。>


どうだろうか。ブックレット・プロジェクトは、「広告人のノウハウ」を用いて「情を刺激」し、「ワンフレーズにはワンフレーズで対抗」すべきという斎藤の提唱する護憲戦略と完全に合致している。

また、『憲法を変えて戦争に行こう』という当初のタイトルは、斎藤が提唱する「不安醸成型キャッチフレーズ」と、これも完全に合致している。斎藤の例をもじれば、「「電気毛布は余計な水分を奪うからのどや肌がカサカサする。」という「不安醸成型キャッチフレーズ」よりも遥かに強い「電気毛布を使ってのどや肌をひからびせよう!」という「不安醸成型キャッチフレーズ」である。

また、斎藤は、護憲戦略について、「拉致事件発覚以後」の、「空気の変りようを意識するところから組み立て直」すこと、すなわち、北朝鮮が日本の「国民感情」に与える「脅威」と「不安」を取り込み、「不安(情)への配慮」を護憲派が持つことを提唱している。それにより、「市民レベルでは護憲派とちょっとの差異しかない改憲派」を護憲派に引き寄せることができる、と主張している。

有り体に言えば、これは、北朝鮮に対して、植民地支配およびそれに付随する諸問題に関する過去清算の必要性を重視すること(といっても、護憲派が別にそれほど重視したことはなかったが)を建前の上からもやめ、そのコロラリーとして、日朝関係における最重要問題は「拉致問題解決」だとし、北朝鮮を仮想敵国とすることを自明視して、北朝鮮に対する認識を改憲派・右派のそれと同じものとし、(歴史的なレイシズムに基づいた)「素直な国民感情」に「配慮」する(おもねる)ということである。そのようなものに、護憲派は変身することで、日本国民への「説得力」を作ろうというのである。

最大部数の読売新聞に掲載されようとしていた「確かに、ムカツク国はある。だからこそ、キレてはいけないのです。」なるキャッチコピーが、この斎藤の「戦略」とこれまた完全に合致していることは明らかであろう。仮にこれが掲載されていれば、一時的には岩波書店内部でも批判的な声は非公式に出たかもしれないが、<佐藤優現象>がそうであったように、既成事実化したものに対して彼ら・彼女らは極めて順応的であるから、そのような声はほどなくおさまり、北朝鮮を仮想敵国とする前提は引き返せないものとして共有されるようになっていただろう。もちろんそれは岩波書店社内だけではなく、護憲派メディア全般に関してもそうである。斎藤の言葉を借りれば、北朝鮮が日本の「国民感情」に与える「脅威」と「不安」を取り込んだ形での護憲派がよりスムーズに形成されていたかもしれない(<佐藤優現象>化で進行してきたのがまさにこれであるが)。

ブックレット・プロジェクトへの斎藤の資金供与、関与が事実であれば、私は、北朝鮮に対して右派と同じような姿勢を示すキャッチコピーを大部数の新聞に打って既成事実を作り、岩波書店および護憲派を変容させることも、プロジェクトの目的だったのではないか、と考えている。

なお、斎藤のエッセイには、看過し難い興味深い記述が他にもある。引き続き見てみよう。

斎藤は、このエッセイの「◇自衛隊改組案を目に見えるかたちでPRしないと。」なる節で、「自衛隊の一部を海上保安庁に収れんして新しい国境警備隊をつくる」との持論(これは『世界』の「平和基本法」構想と大幅に重なる)を展開した上で、以下のように主張している。


<あっちが「九条を変える」なら、こっちは「自衛隊を変える」だ。「九条を変えないで自衛隊を変える」だ。

「変えない」と「変える」を自分の中でどう折り合いをつけていくか。状況の変化に目をつぶったままで原理を守りつづけることができるのか。状況の変化に反応するあまりに譲れない一線まで変化させてしまっていいのか。「九条を変えないで自衛隊を変える」は、変化をとり入れながら原理を変えない折衷主義の立場だ。

「それはそれでいいんじゃないの。自衛隊については解散論あり改組論あり現状維持論ありでいいじゃないか。いろいろな主張を互いに尊重することが大切だものね」

それじゃ困るんだ(あ、つい声が大きくなってしまった(引用者注:強調は原文))。

早い話、護憲派と改憲派のテレビ討論会を想像してごらんよ。自衛隊の扱いについて、護憲側がいくつもの論に分裂していたら、「おや、割れてますね。一体、自衛隊は解消するんですか、残すんですか、変えるんですか。国民は迷っちゃいますね」と改憲派にからかわれるにきまっている。これだけで護憲派の連中は頼りないと国民に思われてしまうのだ。かんじんのコンセプトがバラバラだと、出てくる力も出てこないのだよ。

いまはもはや平時じゃなくて非常時なんだから、

護憲派は具体的な自衛隊改組論で合意をつくろう

自衛隊の扱いについては、「具体的」と「合意」が重要なのだ。

自民党内部では韻文的な「日本軍」派も「愛国心」派も不満を抑えて、散文的な「自衛軍」の草案で統一してしまった。いまのところ、小異を捨てて大同につく柔軟さでは改憲派のほうがはるかに上だ。見習わなくちゃ。>


<<せめて統一的な戦略センターをつくろうよ>

いま必要なのは、最終局面の国民投票に向けて護憲の世論をどう形成していくかを総合的に設計する知恵袋のセンターだ。
改憲派の各グループは連日自民党本部に集まって「市町村国民保護モデル計画の次の手はどうする?」といった戦略を練っている(自民党というのは各グループの集合体だから、そういう言い方をしてもいいだろう)。対する護憲派の各グループは月に一度も顔を合わせないで、各自がバラバラに戦略を練っている。練っているのかな。

護憲の声が押されぎみな理由、どうも北朝鮮のせいばかりにしてはいけないみたいだ。>


このように斎藤は、護憲派が「具体的な自衛隊改組論で合意をつく」ることを提唱しており、そのために最低限「統一的な戦略センター」を作ることを提唱している。

私は以前、「<佐藤優現象>批判」の中で、「現在のジャーナリズム内の護憲派の戦略は、大雑把に言えば次のようなものだ。北朝鮮問題には触れないか、佐藤優のような対北朝鮮戦争肯定派を組み込むことによって、「護憲」のウィングを右に伸ばし、「従来の護憲派」だけではない、より幅の広い「国民」層を取り込む。また、アジア太平洋戦争については、「加害」の点を強調する(それは「反日」になるから)のはやめて、「被害」の側面を強調し、改憲することによって再び戦争被害を被りかねないことに注意を促す」と記したが、ここでの斎藤の記述を読めば、佐藤の「人民戦線」の主張それ自体が、斎藤の護憲戦略にとって極めて好都合であることは明らかであろう。

また、私は以前、このブログの記事「岩波書店代表取締役社長・山口昭男氏と佐藤優」で、佐藤と大変親しいらしい山口社長と、辻井喬との『軍縮問題資料』2007年11月号の対談(奇妙なことに、これも『軍縮問題資料』だ)を取り上げ、「平和的なナショナリズム」「平和主義のナショナリズム」に、護憲派ジャーナリズム全体を持って行きたいというのが、山口社長や辻井喬のような、リベラル・左派のえらい人たちの考えていることだと指摘した。その上で、以下のように記している。

「こうした移行を進めるにあたって、佐藤(のような右翼)は不可欠である。鈴木邦男では駄目なのである。なぜならば、鈴木は、同時期において、右派・保守論壇で右傾化を推進したり排外主義を煽動したりする発言をしないからだ。右派・保守論壇で右傾化を推進したり排外主義を煽動したりする人間が登場することが、自然だという<空気>の下ではじめて、「平和主義のナショナリズム」は成立する。」

山口社長と辻井との対談で語られていないこと、それこそが、斎藤が饒舌に必要性を語っている、北朝鮮を仮想敵国とする認識を前提とした、排外主義的な「素直な国民感情」を取り込んだ形への護憲派の変容である。それこそが、山口社長や辻井が提唱している「平和主義のナショナリズム」にとって現実的に不可欠なものである。

私が以前から指摘しているように、2005・6年以降のリベラル・左派は、「戦後社会」の肯定を基軸とした形へ全面的に転向していっているが、それの媒介となり促進したものが、<佐藤優現象>であり、「平和主義のナショナリズム」志向である。その本質には、斎藤が提唱するように、北朝鮮問題において、右派と基本的に同じスタンスを取るという「戦略」がある。そのコロラリーとして、在日朝鮮人の人権の切り捨てがあり、民主党政権下の朝鮮学校高校無償化排除などはその象徴的な事例だが、リベラル・左派は加担の事実を認めないがために口先だけで「排除反対」などと唱えたり、仕事のためには何でもする愚かな在日朝鮮人のマスコミ業界人たちに媚びてもらったりしている。

私はいたずらに陰謀論を唱えるものではないが、リベラル・左派内部の<佐藤優現象>も、このブックレット・プロジェクトも、同様の大きな流れの中での、同種の性質を持ったものだと私は思う。



7.

以上述べたように、岩波書店に対しては、このブックレットのプロジェクトにおいて、「岩波書店のブランド」と岩波書店の人員を利用したいとする、外部者の資金を前提に、外部の意向に則った刊行物の発刊と大々的な広告展開を行なったとの疑いを強く持たざるを得ない。それが事実であれば、そのような刊行・広告展開の形態が、出版に関する社会通念・良識、外部からの独立を前提としたジャーナリズムの理念に背馳していることは明らかである。

また、「憲法を変えて戦争に行こう」などという、およそ常識では考えられない書名で、しかも42紙一面広告を展開しようとしており、そのような広告展開が一般社会にもたらす悪影響への顧慮を全く欠いている。

また、「確かに、ムカツク国はある。だからこそ、キレてはいけないのです。」などというキャッチコピーの新聞一面広告を、最大部数を誇る読売新聞に掲載しようとしていた。この「ムカツク国」が、北朝鮮を指していること(またはそのように一般的に理解されること)は当時(現在もだが)の世論においては明らかである。このような意見広告に近い形で、特定される国を「ムカツク国」などと一企業が宣言すること自体が著しく良識を欠いた行為であり、また、その時点までは北朝鮮バッシングに対して相対的に距離を置いていた岩波書店が、このような宣言を行った場合、「あの岩波も北朝鮮を「ムカツク国」だと宣言している」と社会的に認知されることは明らかである。こうした行為の社会的影響への顧慮、特に、このような北朝鮮の悪魔化への積極的加担によって、在日朝鮮人(特に民族学校に通う生徒)が被る直接・間接的な被害への配慮を全く欠いている。

このように、同プロジェクトの展開において、看過・許容しがたい事態が生じていたが、現在の岩波書店役員は、ほぼ全員が同プロジェクトに関与している。

現在の役員のうち、山口昭男代表取締役社長、宮部信明専務取締役、臼井幸夫常務取締役、井上一夫取締役は、当時も役員であったから、当然この件に関して責任を有する。

また、小松代和夫取締役は、このプロジェクトの渦中の2005年5月31日に取締役に就任しているが、このプロジェクトの開始時には宣伝部長であり、出広先の新聞社や電通との交渉の実務責任者であって、この件には極めて深く関与しており、総務部長・取締役就任後も宣伝部を頻繁に訪れていたから、当然この件に関して責任を有する。

また、小島潔取締役は、当時は役員ではなかったものの編集部長であるから、当然この件に関して責任を有する。

また、岡本厚取締役は、当時は役員ではなく、また上で述べたように「ムカツク国」コピーについては責任はないが、Aによれば、『憲法を変えて戦争に行こう』というタイトルでの全面的広告展開については肯定的だったとのことであるから、この件に関して少なくとも部分的に責任を有するであろう。

このように、岩波書店の現在の役員8名中、7名がこのプロジェクトに何らかの形で責任を有しており、しかも6名は直接的に関与していると見なしうる。

また、これまでのところ、上で挙げた三つの問題について、社内ではまともな説明がなされたことがない。このプロジェクトは前述のように、「社外秘」ならぬ「社内秘」によって進められていたから、「ムカツク国」広告については、この記事を読んで初めて知ることになる(当時在籍していた)社員も多いはずである。「社内秘」だったのは、東京新聞が憶測するような「動く予算を巡って起こりうる社内の異論」への顧慮などではなく、資金の問題、『憲法を変えて戦争に行こう』というタイトルでの42紙一面広告、異常なキャッチコピーといった点から、当然生じることが予想される社内の反発を回避するためだと思われる。

このような、会社の一種の意見広告のような形態でのプロジェクトが、『世界』編集長のような要職の人間にすら知らされない形で、しかも、前述の前田・副田の発言から明らかなようにコピーライターである前田が、特定の広告の出広先の選択という企業の重要な業務についても発言し、しかもそれがそのまま採用されているという事態は、通常の業務形態とはかけ離れたものであって、このプロジェクトが一貫して、「岩波書店のブランド」を利用しようとする外部の資金・意志によって進められたものではないか、との疑義を著しく強めるものである。



8.

冒頭に戻るが、会社が誹謗中傷だと主張している私の記述を改めて取り上げよう。

会社が問題だとした、「左派ジャーナリズムは、ブラック・ジャーナリズム的再編の方向に――佐藤優と癒着する岩波書店も含めて――向かっているようである。」という記述は、2009年8月10日付のブログ記事「論評:佐高信「佐藤優という思想」③ ブラック・ジャーナリズム化する左派メディア」の一節である。ここで私は、佐藤優と癒着を深めている『週刊金曜日』が、佐藤だけではなく、同誌が持ち上げる後藤田正純のような政治家について、都合の悪い点を隠蔽したと思われる点を指摘した上で、同誌の売上部数の低下、編集長である佐高信が総会屋系雑誌の編集長を務めていたこと、近年の雑誌『創』(岡本も執筆している)に関しても特定団体による大部数の買い上げがジャーナリストによって指摘されていることを前提として、左派ジャーナリズム全体が「ブラックジャーナリズム的再編の方向」に向かっているようであり、そうなれば、スポンサーの主張をそのまま反映し、プロパガンダの手段として活用される可能性が高いとの危惧を表明している。
http://watashinim.exblog.jp/10087565/

また、会社が問題だとした、「『世界』はどうも、このあたりの政治家や官僚・支持勢力のためのプロパガンダ雑誌になってしまっているように見える。」という記述は、2010年2月1日付のブログ記事「陰謀論的ジャーナリズムの形成(3) 佐藤優の売込みを図る岡本厚『世界』編集長」の一節である。ここで私は、岡本厚『世界』編集長が、韓国の有力政治家・学者たちを前にしたシンポジウムでの報告で、田中均が日朝国交正常化に尽力した結果として失脚したと説明した上で、その例と佐藤の失脚を同列視して紹介することで、岡本が、韓国の有力者たちに対して実際の佐藤の主張とは180度異なる像として佐藤を紹介していることを批判したものであり、また、現在の『世界』で著者として繰り返し登場している鈴木宗男がイスラエル政府の主張に合致する政治活動を日本で展開していること、元防衛事務次官の守屋武昌も登場するようになっていること、佐藤・鈴木・守屋は小沢一郎と関係が深い(とされている)ことを指摘している。
http://watashinim.exblog.jp/10723086/

また、会社が問題だとした「『世界』その他リベラル・左派ジャーナリズムの、陰謀論的ジャーナリズムへの移行」、「『世界』その他リベラル・左派ジャーナリズムがよりファッショ的な形で、プロパガンダ機関化しつつあること」といった記述は、2010年2月28日付のブログ記事「陰謀論的ジャーナリズムの形成(4):新しい段階へ――『世界』2010年3月号雑感」の一節である。ここで私は、前記の2つのブログ記事の認識、また、2009年12月11日付のブログ記事「『世界』2010年1月号と<佐藤優現象>」で指摘した、岡本編集長や『世界』が、小沢の影響が強いと思われる当時の鳩山政権に対して全く批判性を喪失している事実を踏まえた上で、小沢の金権疑惑について、岡本編集長が、「不透明な資金を得て、その政治力としていること」自体は「推定」しているにもかかわらず、小沢資金問題の取材・調査を行うどころか、小沢への「検察の捜査(またそれと一体化したメディア)」への批判のみを繰り返していること、同様の「国策捜査」批判の主張を繰り返し『世界』誌上に掲載していること、当時の民主党が「大政翼賛会的」なまでに支持層を広げたと誇示しているかのごとき佐藤の発言を掲載していることを取り上げている。
http://watashinim.exblog.jp/10816722/

冒頭でも述べたとおり、私の記述が、文脈から見て公正な論評であることは明らかであるが、このブックレットの件を念頭に置けば、私がどのような事態を前提として発言していたか、お分かりいただけるだろう。岡本編集長を含めた現在の経営陣のほぼ全員が、上のブックレットのプロジェクトに従事するか責任を有しており、しかもそのことに何ら反省のそぶりを見せていない以上、岩波書店および『世界』の佐藤優の積極的な起用といった異常な事態や、『世界』が小沢一郎や鈴木宗男のような有名な利権政治家を全面的に擁護し、権力批判というジャーナリズムの本分を放棄して民主党政権翼賛を続けていた事態について、「岩波書店のブランド」を利用しようとする何らかの外部のスポンサーの存在を想定することはごく自然なことである。

岩波書店がなすべきことは、私のブログ記事の記述の訂正・謝罪を求めるという馬鹿げた言論弾圧ではなく、上で述べたブックレットのプロジェクトに関する全面的な情報公開である。実際の担当者たちや要職者をはじめとした多くの社員が言っているようにカタログハウスの斎藤駿氏の買い上げがそもそも企画の発端・前提ではなかったのか、当初のタイトルはなぜあのような良識に著しく反したものであったのか、「ムカツク国」とのキャッチコピーがなぜ掲載寸前までいったのか、その他、このプロジェクトは常識的な出版活動からすれば無数の疑問を生じさせるものである。会社が社員に対してすら全面的な沈黙を続けている以上、私が上記のような認識を持つのは当然であって、この件に関してまともな説明もないどころか記述の修正で問題を糊塗しようというのは本末転倒以外の何者でもない。

本末転倒と言えば、取締役の一人である岡本編集長についても特記しておくべきだろう。上述のように、問題とされている私の記述の基の記事は、岡本編集長および『世界』について、具体的に問題点を指摘した批判である。岡本編集長は、佐藤優を起用し続けることをはじめとして、私だけではなく多くの読者が持つであろう疑問について、何ら公的に説明しないどころか、かえって批判の記述を削除せよと要求してきているのである。どこまで恥知らずなのか。これでいて岡本編集長は、『世界』のホームページ上で『世界』について「日本唯一のクオリティマガジン」などと自称している。冗談も休み休み言うべきであろう。

このブックレットのプロジェクトをめぐる一件は、私と会社との対立の原点であり(笑)、私に対する「解雇せざるをえない」通知をめぐる一件に明らかなように、会社がなぜ私を徹底的に排斥しようとするかを考える上でも有益であろう。また、上で引用した「<佐藤優現象>批判」の注でも述べたように、このブックレットのプロジェクトは、<佐藤優現象>とも多くの共通点を持つものであり、私が以前から指摘している、2005・6年頃の「論壇」の急速な言説変容とも関連していると思う。この件に関して岩波書店に徹底した情報公開を求めるよう、読者の方々にお願いする次第である。

(金光翔)
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[ 2011/05/15 00:00 ] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)


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