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「岩波原理主義者」たちとの闘い――「解雇せざるをえない」との通知について 

1.

この1カ月ほど非常に慌ただしく、更新する暇がなかったのだが、ようやく時間ができてきたのでアップしていく。

さて、片山貴夫氏が既に報じてくれているが、4月1日付の文書で、岩波書店は私に対し、岩波書店労働組合が金を除名した結果、このままでは「解雇せざるをえない」ということになるとの文書を送ってきた。

「急報 岩波書店が金光翔さんに「解雇せざるをえない」と通告」
http://katayamatakao.blog100.fc2.com/blog-entry-103.html

私としては、ある程度予測はしていたとしても、会社がこれほど原始的かつなりふり構わない形で弾圧をしてくるとは思っていなかったので、呆れるとともに改めて強い怒りを覚えた。

このブログで既報のとおり、会社は、2月2日に、私の個人ブログ「私にも話させて」を全面的に検討した結果として、いくつかの記事の記述について、ブログ上での訂正と謝罪を要求してきているが、それに合わせるかのように、岩波書店労働組合執行委員会は3月2日に私を除名する方針を岩波労組総会にはかることを決定し、3月29日に岩波労組は総会決議で私を除名し、4月1日付の「解雇せざるをえない」通知が出されているのである。あからさまな労使のコンビネーションによる排除である。そして、この経緯から、2月2日の私への会社の訂正・謝罪要求も、会社が主張するように「会社の名誉が傷つけられた」というよりも、私への攻撃・嫌がらせの一環として打ち出されていることもこれまた明らかであろう。

岩波労組の除名通知に関する経緯は、彼ら・彼女らの陰湿さ・不誠実さと、この連中がどれほど集団狂気に陥っているかを示す好例なので、後日詳細に論じるが、問題はもちろん、株式会社岩波書店にある。

この会社通知に対して、首都圏労働組合はもちろん会社に抗議しており、また、執行委員会が除名方針を総会にはかることを私に伝えてから、会社が駄目元で解雇を強行してくる可能性があるので、仮に裁判になった場合に完勝する体制を築いておくために、別途、私個人で別の労働組合(ここではA労組としておく)に加入した。首都圏労働組合との二重加盟は、A労組も、首都圏労働組合の私以外の執行委員も了承している。

また、この件を知った板垣竜太氏・鵜飼哲氏が呼びかけ人となって、会社の回答指定日(後述)の4月11日までに、わずか3日ほどで「岩波書店の著者」23名の署名者を集めてくださり、「金光翔氏に対する解雇処分に反対します」と題した抗議文を会社宛に送ってくれた。

そして、A労組は、私がA労組員であることを会社に通知し、解雇などもってのほかであるとの抗議文を送った。

会社は、4月1日付の通知で、解雇については「貴殿が他の(注・岩波労組以外の)労働組合に加入しているか否かを確認の上、最終判断をします。」などと述べており、首都圏労働組合を現状では認めないとしている。その上で、「最終判断」の「判断材料」にしてほしければ、首都圏労働組合の組合員名簿その他を4月11日までに送ってこいという。だが、そもそも労働組合は労働者の自由な意思で結成され、自主的に活動・運営されるものであり、届け出る必要も誰にも許可を受ける必要もない以上、首都圏労働組合の存在を認めるかどうかの決定権が会社にある、という主張自体がおおよそ不可解かつ異常なものである。しかも会社が提出を要求している組合員名簿は、労働委員会の資格審査ですら提出を求められないものである。

会社のこうした主張だけでも、この会社が社会的な良識からどれほど逸脱しているかは明らかであるが、ましてや岩波書店は、労働関係の書籍を多く出しており、役員の一人の岡本厚(取締役)は、同時に、労働問題を数多く扱ってきた『世界』の編集長なのであるから、噴飯物である。この支離滅裂さは、もちろん、岩波書店および岡本が、<佐藤優現象>を最も積極的に推進している出版社および個人であることの支離滅裂さと綺麗に対応している。

しかも、A労組は労働委員会の資格審査も通過しており、会社に対しても直近の「資格審査決定書」を送付している。会社がこれまで首都圏労働組合に対して主張してきた、「実態が不明であるから認められない」といった馬鹿げた論理からしても、私が「他の組合に加入している」ことを認めざるを得ないはずである。したがって、4月1日付文書を白紙撤回した、または金については解雇しないという「最終判断」を行った、との通知を私に対して送る以外の選択肢は、本来あり得ない(注)

ところが、岩波書店はそのような通知を行うどころか、4月19日付で私宛に送ってきた通知の内容は、A組合から加入通知があったが金が実際に加入しているかは現時点ではわからない、首都圏労働組合とA労組の関係はどのようなものかもわからない、といった馬鹿げたものだった。こういう、下らない引き延ばしを止めさせるために、首都圏労働組合は、「解雇しない」との「最終判断」が下されない限り、一切の質問に応じる気はない旨を含んだ抗議文を送り、またA組合も抗議文を送っているが、現時点で会社は両組合に対して一切回答していない。

岩波書店は、仮に解雇を行えば重大な損失になることが明らかであるから「解雇しない」との「最終判断」を下すほかなくなっているにもかかわらず、回答せずに、金を解雇するかしないかは分からない、という宙吊りの状態を継続させようとしている。このような、矮小かつ卑劣な態度を撤回しようとしない岩波書店に対し、徹底的な批判と、批判的行動を行うことを読者に呼びかけたい。

(注)念のために判例を引いておこう。

「ユニオン・ショップ協定は、労働者が労働組合の組合員たる資格を取得せず又はこれを失った場合に、使用者をして当該労働者との雇用関係を終了させることにより間接的に労働組合の組織の拡大強化を図ろうとする制度であるが、他方、労働者には、自ら団結権を行使するための労働組合を選択する自由があり、また、ユニオン・ショップ協定を締結している労働組合の団結権と同様、同協定を締結していない他の労働組合の団結権も等しく尊重されるべきであるから、ユニオン・ショップ協定によって、労働者に対し、解雇の威嚇の下に特定の労働組合への加入を強制することは、それが労働者の組合選択の自由及び他の労働組合の団結権を侵害する場合には許されないものというべきである。したがって、ユニオン・ショップ協定のうち、締結組合以外の他の労働組合に加入している者及び締結組合から脱退し又は除名されたが、他の労働組合に加入し又は新しい労働組合を結成した者についての使用者の解雇義務を定める部分は、右の観点からして、民法九〇条により、これを無効と解すべきである(憲法二八条参照)。そうすると、使用者が、ユニオン・ショップ協定に基づき、このような労働者に対してした解雇は、同協定に基づく解雇義務が生じていないのにされたものであるから、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当なものとして是認することはできず、他に解雇の合理性を裏付ける特段の事由がない限り、解雇権の濫用として無効であるといわざるを得ない。」(ここでは、最高裁第一小法廷1989年12月14日判決より引用)



2.

さて、ここでもう一つ考えたいのは、岩波書店はなぜここまでしてなりふり構わずに私への排除に邁進するのか、という点である。いくつかの理由があろうし、そもそも岩波書店の経営には経営合理性が往々にして見られないので、私と個人的に極めて仲の悪い役員たちが感情的に突っ走っている可能性もあるが、私は、役員および社員全般における「岩波書店」という「ブランド」の肥大した自意識と、その維持のための無意識的な行動として大部分は説明できると考えている。

まずは、「岩波書店」という「ブランド」について、役員および岩波労組が、いまだにどれほど過剰な思い入れ、自意識を持っているかを見ていただきたい。同じ社員として恥すら感じるが、手元にある文書からいくつか引用する。

<岩波労組>

・「社会と密接にかかわっている、いや能動的に社会にコンタクトし、そのことを「本」というかたちで、本来、人が人として生き生きと活動できる社会の在り方を直接的あるいは間接的に問題提起しているのが、私たちの働いている岩波書店だと自負しています。私は、そのくらい社会的な責任をもつ会社だと思っています。」(「2011春闘団交ニュース」2011年3月3日付より。強調は引用者、以下同じ)

・「何とか辛うじて目の前の仕事に向かう気持ちを繋ぎとめてくれるのは、未だに岩波書店から本を出すことに意義があると思って、力のこもった原稿を託して下さる著者たちとの信頼関係や、岩波から出るものなら間違いない、と信用して本を選んでくれる読者の存在です。長い年月をかけて、先輩方の努力と苦心によって築かれてきた抜群の信頼感という岩波書店の強みを、いろいろ苦しい今の状況のなかでも何とか損なうことなく維持していかなければならない」
「現在でも、出版不況や書籍の電子化の波の中で、「岩波書店はどのように考えているのか」「岩波書店はなにか具体策を出しているのか」という質問を受けることはしょっちゅうです。最近でもある重要な著作権の問題でぜひ参考にしたいと他社から岩波の考え方について問い合わせがありました。社歴の浅い私ではありますが、出版界における岩波書店の重さ・注目度といったものをひしひしと感じます。」(同上)

・「文化の配達夫たる岩波書店」(「2011春闘団交ニュース」3月16日付より)

・「社会的責務として何をやっていくべきか、経営としてぜひ提案していってほしいと思います。災害や戦争などいろいろ厳しい状況もありながら、それらを乗り越えて岩波書店はこれまで100年つづいてきました。100年この先も続かなければと思っています。」(同上)

<岩波書店役員>

・「来期は……岩波書店として社会的発信を強めていくことを方針としていきたいと考えています。いかなる状況であろうとも岩波書店ここにありという存在感を未来へつなぐ、持続可能な経営のために役員全員でとりくんでいきたい。」(「2011春闘団交ニュース」3月16日付より)

・「岩波書店では早くから原発批判を続けてきました。1970年代から都留先生などを中心にやってきましたが、そういった中で言っていた最悪の事態を超えた事態がいま進行している。悪夢といってもよい事態です。我々の力が足りなかったのではと、怒りとともに忸怩たる思いを禁じ得ません。岩波茂雄が敗戦のときに感じたのとまさに同じような気持ちです。今、社会にむけて発信しなくて何のための編集者、何のための出版社、何のための岩波書店かと思います。人々を励まし、前を向いてもらえるようなことを考えなくてはならない。今がまさにその時。皆が一丸となってがんばりたい、がんばっていこう」(同上)

・「岩波書店にしかできないことを発信していきたい」(同上)

・「他社に対して誇るというものではないのですが、厳しい状況の中で皆さんには、手を抜くことなく、しっかりとした本を作っていただいている。岩波書店の名に恥じない出版物を出そうという皆さんの努力のたまものだと思います。編集局担当役員として、刊行した本に目を通す機会は多いのですが、岩波書店がこうした出版を続けていかなければ、どこが出せるのかと、この1年間何度も感じてきました。いまこうした社会状況の下で、この会社をなくすことはあってはならないと思う。この会社をしっかりと打ち立てていくために、会社と社員の信頼関係を築いていかなくてはと思う。「信なくんば立たず」という言葉がありますが、そのとおりだと思います。」


こうした引用から、労使一体で「岩波書店」という「ブランド」に酔っていることは明らかであろうが、さらに問われるべきは、仮にこのような滑稽な形で岩波書店の労使が、岩波書店の使命感や「社会的な責任」を本気で信じているのであれば、当然、佐藤優の起用に対する疑問についてもより一層誠実に回答すべきであろうし、起用をやめるべき、ということになるであろう。驚くことに、彼ら・彼女らにはそのような発想は微塵もない。「岩波ブランド」という自己欺瞞を維持するのに都合のいい範囲でのみ「社会的な責任」を感じられるその便利な思考法には感心せざるを得ない。

念のために書いておくと、私の批判にせよ、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」の文言にせよ、岩波書店は「人権」や「平和」の担い手であるべきであるから佐藤氏を起用するのはやめるべき、とは書かれていない。後者の例で言えば、一般的に、社会的に岩波書店はそのように見なされているから、そのようなメディアが佐藤氏を起用し続けることは、「人権や平和に対する脅威と言わざるを得ない佐藤氏の発言に対する読者の違和感、抵抗感を弱める効果をもつ」ということを指摘しているのであって、社会的な機能が問題にされているのであり、文言上は、岩波書店が「人権」や「平和」の担い手たるべき、とは主張していない。もちろん、そのように思う人も(そのような人ならばより一層)賛同できるものになっていると考える。

この労使一体の「岩波書店」に対する滑稽なまでの思い入れと自負心(自意識)が、私へのこれまでの、そして今回の徹底的な排除の背景になっていると私は考える。上のような自負心(自意識)を持っている人々からすれば、私のように、それが欺瞞でしかないことを指摘する人間は、端的に言って破壊者であり、「対テロ戦争」のごとく「異常者」として処理しなければならないことになるのだと思われる。上の文書は団交時の記録だが、団交という本来労使が対決する場所であるにもかかわらず、「皆が一丸となってがんばりたい、がんばっていこう」その他の「労使一体」を強調する文言が散見されることも、「異端者」への敵視が日常的になっている状況を示唆していると言える。

また、岩波書店役員の最後の引用文の「この会社をしっかりと打ち立てていくために、会社と社員の信頼関係を築いていかなくてはと思う。」という文言は、今回の「解雇せざるをえない」通知の背景を示してくれている。「会社と社員の信頼関係」の構築のためには、岩波労組が嫌う私を会社が身をもって(岩波書店の著者の反発すら受けながら)弾圧してくれる姿を見せることが必要、と考えられているのではないか。かくて異常者が排除されれば労使の「一丸」性は回復され、「岩波書店がこうした出版を続けていかなければ、どこが出せるのか」とまで役員に言わしめている、「岩波書店」としての自負心・自尊心も回復される、という次第である。

そもそも、岩波書店の役員および社員たちには、外部から突きつけられる形での「社会的責任」(そもそも責任とはそのようなものであるが)を認識する可能性など、はじめから存在すらしないのではないかと私は思う。前にも記したように、役員の一人である岡本厚『世界』編集長は、『世界』編集部内の中国人差別発言について、発言者に差別的な意図があるはずがないのだから、注意した金がおかしい、という主張を堂々と展開しているのであり、その説明を役員たちも追認しているのである。その論理を適用すれば、当然、佐藤優の起用についても岡本をはじめとした岩波書店の人間には悪意があるはずがないのであるから、批判する方がおかしいのであって、「社会的責任」が問われることになるはずもない、ということになろう。彼ら・彼女らの岩波信仰・自己欺瞞はもはやカルトの域にまで達しているのであって、その気持ち悪さ・特異さすら自覚できていない。

私が個人ブログで展開している政治的・社会的な主張は、今の日本の言論状況からすれば極めて「偏ったもの」と表象されることになろうが(東アジア単位で考えればそれほど珍しくない、時によっては多数派の主張であるが)、今回にしてもこれまでにしても、対岩波書店の私自身の労働問題に関して言えば、私は憲法上の、市民社会では当然に承認される市民的権利しか要求していない。岩波書店および岩波労組の対応こそが、一般企業ですら承認する権利を徹底的に否定しているのである私が労働基準監督署に指導要請するまで、数十年間にわたって残業代が支払われたことがなかった点もその体質を象徴している)。だからこれは、岩波書店が一般の人間にそのように表象させたがっているらしい、極端な政治的イデオロギーを持った異常な人間と、「良識」の代表たる岩波書店との間での争いではなく、市民社会の当然の市民的権利を要求する者と、自己陶酔と自己欺瞞と徹底した無責任さを持つ「岩波原理主義者」たちとの間の争いである。

しかも、書いていて馬鹿馬鹿しくすらなるのだが、私の7年余の見聞の範囲では、この「岩波原理主義者」たる岩波書店社員たちは、自分が担当した本以外の岩波書店の刊行物を大して読んでいないように見える(社会科学・歴史学の領域に限定した話だが。以下同じ)。これまでの岩波書店の刊行物をそれなりに読んでいれば、岩波書店が、「岩波原理主義者」たちが使命感を感じるほど誇るに足る出版活動をしているわけではないことも明らかなはずである。そもそも、1980年代半ばには、一般的な読書人の間では岩波書店の知的権威など消滅したと見るのが妥当であろう。私の見るところ、多くの社員は、他業種の労働者とあまり変わらない読書量しかなく、編集者にしても、学部生以下かそれに毛の生えた程度しか本を読んでいない。私はそのような人々が出版業に従事することを否定しているわけではなく、そのような人々が「岩波書店」という「ブランド」に酔うのは倒錯している、と言っているのである。「岩波原理主義」自体が馬鹿げたものであるが、大多数の社員にはその根拠すらなく、「岩波=知的権威」といった時代錯誤の図式を真に受けて、自分で信じ込んでしまっているだけではないかと私は思う。

また、上の引用の最後の発言で、役員は、「編集局担当役員として、刊行した本に目を通す機会は多いのですが、岩波書店がこうした出版を続けていかなければ、どこが出せるのかと、この1年間何度も感じてきました」と述べている。だが、その「刊行した本」が本当に岩波書店でしか出せないものなのか、そもそもその本は出す意義があったのかについて具体的な説明はない。残念ながら、私はこの1年間、刊行に社会的な意義のある「岩波書店がこうした出版を続けていかなければ、どこが出せるのか」といった本は見つけることはできなかったし、>一体、岩波書店でなければ出せない社会的に意義のある本とはどのようなものなのか、見当すらつかない。もちろん、今でもそれなりに良書は出ていようが、それを言い出せば、他の出版社でも良書はいくらでも出ているのであって、なぜ岩波から良書がいくつか刊行されることが、上の引用に示されているような「岩波原理主義」を裏付けることになるのかさっぱり分からない。

ついでに指摘しておくと、上の引用箇所で、ある役員は、「岩波書店では早くから原発批判を続けてきました。」などと書いており、また、役員の一人である岡本は、『世界』5月号で、「本誌は、原発について、安全性の面、経済性の面、エネルギー政策の面などから長年にわたって批判してきました。」と書いている。奇妙なことに、私は『世界』編集部在籍時に編集部内部で「原発」が話題になっているのを聞いたことがないのだが、それはさておき、鳩山由紀夫や小沢一郎のような原発推進派の権力獲得、権力維持を積極的に支持してきた(している)岡本編集長が、今さらよく言うよ、と爆笑してしまった。しかも佐藤優が今回の震災・原発について相変わらず醜悪な発言を繰り返していることも、私の個人ブログで指摘しているとおりである。また、そもそも東京電力社外監査役の小宮山宏は、有力な「岩波書店の著者」であり、自然科学系でも原発業界と「岩波書店の著者」の関係はいろいろ出てくるかもしれない。確かに岩波書店や『世界』が、現在の原発政策に批判的な本や記事を出してきたのは事実であろうが、それと背馳する出版活動をも行ってきている以上、今になって「私たちは反原発を主張してきた」と主張するのは時局便乗、御都合主義と言われても仕方ないのではないのか。上の役員の引用や岡本の発言を見ていると、どうやら都合の悪い事実ははじめから視界に入っていないようであるが、そこに「岩波原理主義者」の面目躍如たるものがある。このような自己欺瞞を額面通りに受け入れる人間がいれば、それは同じく「岩波原理主義」に感染しているだけなのではないか。

私の解雇をめぐる問題は、現実の岩波書店が「人権」や「平和」、「知的権威」とはかけ離れた存在であり、世間にまだ存在するそのようなイメージ――それこそが<佐藤優現象>その他を駆動する大きな要因となっている――が、端的に虚偽であることを示す絶好の例となっている。だらだら回答を引き延ばしてきた会社に対して、「解雇しない」という「最終判断」を下すことを認めさせることは、そのための重要な一歩である。多くの読者の支援を期待する。

(金光翔)
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[ 2011/05/04 00:00 ] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)


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