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岩波書店による私への攻撃④岩波書店のダブルスタンダード2:岩波書店役員は『日本の思想』を読んだのか 

「岩波書店による私への攻撃③」では、岩波書店が用いるダブルスタンダードを指摘したが、ダブルスタンダードの事例は他にもある。「岩波書店労働組合による私への「嫌がらせ」「いじめ」について①」でも引用した、岩波書店の元社員の小野民樹氏は、岩波書店在籍中に発表した『60年代が僕たちをつくった』(洋泉社、2004年5月刊)で多くの岩波書店批判、「岩波書店の著者」批判を展開し、しかも、業務情報まであけすけに語っている。ところが、会社は小野氏に対して、何ら注意を行なっておらず、しかも、行なわなかったことを私に対して正当化しているのだ。

小野氏は著者略歴の欄に、「岩波書店に入社し、今日に至る」と明記しているのだから、岩波書店社員だという情報を明示しなかった私よりも、本来、会社の主張からすればより問題なはずである。小野氏の上記の本から、主な該当箇所をいくつか抜粋しよう。

小野氏は、1999年に「君が代・日の丸の法制化に反対する声明」を発表した人々について、「舶来のカルチュラル・スタディーズの反日思想でアタマをいっぱいにした彼ら」と表現した上で、その内の一人である鵜飼哲らについて次のように評している。

「フランス文学・思想を教える一九五五年生まれの国立大学助教授が小学校四年生のとき、「頑張れ、ニッポン!」で結んだ東京オリンピックの作文を書いたことを一代の屈辱のように回顧し、「あの法律が通ったら、学校はすでに兵舎である」といい、「あの旗が揚がったら、眼を伏せよう、横を向こう、お喋りをしよう。出来ることなら、背を向けよう。あの歌が聞こえたら、地べたにしゃがみこもう。口をこじあけられそうになったら、噛みつこう。恥ずかしいことはなにもない」(鵜飼哲「一九六四年の『小国民』」、『「日の丸・君が代」を超えて』岩波ブックレット)と、たしかに恥ずかしげもなく自己陶酔して呼びかけるのは、歪んだ受験教育の小児病的結末といえるのではないか。(中略)模範答案を書くためだけに、尻をたたかれてきたような過剰適応症の元学校秀才たちが思いあがって、「日本および世界の世論に対し重大な注意を喚起」したのである。」」(192~193頁。以下、特別の断りがない限り、強調は引用者)

また、友人からの書簡からとして、以下の文章を何のコメントもなく引用している。
『小津安二郎』っていう岩波新書あっただろう。/盗作と無断引用ばかりで、蓮実重彦が「わたしには、こういう本だけは書いてはいけませんという、パロディに思えますね」といってた。メディア論の取材で気づいたんだけど、あれ書いた放送教育開発センター助教授、なんと東京大学大学院新領域創成科学研究科助教授に出世してるんだ。」(105頁)

また、岩波書店の緑川亨・元代表取締役社長について(ただし実名は出していない。1978~1990年、代表取締役社長)、『世界』編集長時代の行動を嘲笑した後で、「(注・この人物は)しばらくして岩波書店社長におさまるが、無借金優良経営の土台を数年で掘り崩した」と続けている。(147~147頁)

また、岩波書店元『世界』編集長・代表取締役社長の安江良介について批判的に紹介した上で、「『世界』の読者は、この問題(注・「北朝鮮の実態」もしくは「拉致問題」)に関する「進歩派」の責任ある見解に接する機会を永久に失った。(注・安江の)エピゴーネンたちは、なすすべもなく安江編集長以来の政治的傾向を更に硬直化させて、批判にはただ耳を閉ざすのみである。/こうしてぼくは民主主義バブルのみじめな崩壊をつぶさに観察することになる。」(199頁)と述べている。

岩波書店については、「七〇年代半ばまでは労使ともに、世界一短い労働時間、日本一の給料などとうそぶいていた。しかし、いろいろな意味で戦後民主主義の砦だった岩波は、日本社会の構造的変化に思想的についていけなかった吉野源三郎の不肖の弟子たちと共産党支配の組合の無策によって、経営的にも追いつめられていった。労働条件よりも理念を上に置く労働協約の精神は、ひとたび経営不振が見舞えば、負荷は「知的労働者」にたやすく転嫁され、残業のない会社は単に残業料がでない職場に変化した。いまに至るまで、残業料支払いが労使交渉の場に正式にもちだされたことはない。民主的経営の岩波書店には残業はありえないのである。」(198頁)

老舗の出版社の保守的な陰湿さが、慢性的な不況の下で、自信の喪失と僻みに転じて社内に蔓延していた。」(213頁。この箇所は、「岩波書店労働組合による私への「嫌がらせ」「いじめ」について①」でも引用した)

「世紀末からの構造的な出版不況に加えて無責任な経営判断の失敗が続き、岩波の屋台骨をゆるがせた。最大の売りだった丁寧な本つくりが弛緩する一方で、朝鮮、教科書、ナショナリズム……真綿で首を絞めるように社内の思想統制が強まる。ぼくは政党や宗教団体の出版部にはいったわけじゃないと反発、局地戦では小さな勝をいくつか拾ったが、KOまでには至らず、無念の判定負けを続ける。ゲームの相手が審判を兼ね、検事と判事が同一人物、会社はカフカの世界なのだ。」(231頁)

また、岩波書店の『ドリトル先生物語』の差別表現に関する会社見解(「読者のみなさま」への「お知らせ」)について、小野氏自身が執筆した、と述べている(218頁)。

以上のような記述を含む、小野氏の本を容認する一方、私の論文に対しては「厳重注意」を与えるというのは、ダブルスタンダード以外の何物でもないではないか。会社見解を小野氏自身が執筆したという情報を記載している点に至っては、明白な就業規則違反である。それすら問題にされていないのだ(小野氏を就業規則違反として処分すべきだった、と言っているのではない。念のため)。

私は当然、会社に対して、小野氏の上記の本の出版後、会社側は何らかの注意を小野氏に与えたのか質問した(2007年11月28日)。小野氏の本は、出版当時、社内で大きな話題になったから(小野氏とはほとんど面識がない私ですら、リアルタイムで読んだ。小野氏と私は思想信条はまるで異なるが、「会社はカフカの世界」という見解の一致に驚いたものだ)、宮部編集部長が読んだのを認めているように、役員が読んでいないはずはない。

その質問に対して、数秒間沈黙した後、宮部編集部長は、「少し性格が違うと思います。今回は、批判そのものがテーマになっていて、小野君の本は他のことをテーマにすると書いていて、その中でその問題も、確かに触れられているという問題があって・・・。同列ではないと思っています。問題は、なかったかといえば、今思えば問題はあったかもしれませんけれど、その時に、具体的に、小野さんにやったということは、事実としてはありません」と答えた。

私が、「趣旨が批判ではないから、ということですか?」と念を押したところ、宮部編集部長は、数秒間の沈黙の後、今度は、「ここでそのことを問題にしようというつもりはないです」と言い出したのである。

これを聞いて私は驚き、「いやいや、それは」と再質問しようとすると、小松代総務部長が私の発言をさえぎって、「今、申し上げているのは、そのときこうだったああだったとか比較して話しているんじゃなくて、ここにあなたが書かれた、これに即して話しているのです」と言い、そうした質問には応じない旨を述べ、宮部編集部長も賛同した。

このやりとりからは、小野氏の上記の本と私の論文への対応のダブルスタンダード、という点に、会社側が触れたくないということが明瞭に読み取れるだろう。宮部編集部長は一瞬口を滑らしたが、まずいと考えて回答するのをやめ、小松代総務部長が、その場しのぎの官僚答弁によって状況を収拾し、ダブルスタンダードの問題から逃げようとした、ということである。

宮部編集部長のここでのダブルスタンダードに関する見解が、支離滅裂であることは明らかである。会社は、私が論文で、「岩波書店の著者」や岩波書店社員、岩波書店の刊行物を批判したという行為を、「岩波書店を成り立たせる存立基盤を掘り崩すもの」であると「厳重注意」したのであり、しかも、そうした見解は、実際に「岩波書店の著者」や読者から抗議を受けたり『週刊新潮』のような記事が出たりしたかどうかとは無関係に定めた、と主張している(注)。ところが、ここでは、私が批判したという「行為」ではなく、「テーマ」という「意図」すなわち「内面」が問題になっているのだ。

このやりとりをしながら、私は、かつて読んだ丸山眞男の文章の以下の一節を思い出していた。

「昨年(一九六八年)秋、加藤執行部ができて、全共闘の要求して来た七項目のほとんどを容れるようになったころ、全共闘系から、「問題は七項目をのむかどうかでなくてのみ方がなのだ」ということを言い出した。今から思えば、あの時が、東大紛争の大きな転換期だった。つまり、東大紛争の擬似宗教革命的な性格はあの頃から露わになった。のみ方がいいかどうかは心構えや良心の問題であって、外部的行動では判定できない。(中略)「良心の自由」の何たるかを知らない点だけでも、それは完全に戦前型を脱していない。一体何がニュー・レフトなのか!」(丸山眞男『自己内対話』みすず書房、1998年、129~130頁。強調は原文ママ)

「外部的行動」ではなく、まさに「心構え」や「良心」といった内面を問題にする点において、会社側の主張は、ここで丸山が指弾する「全共闘系」を彷彿とさせる。実際に、当時の役員8名(現在は7名)のうち、宮部編集部長、山口昭男代表取締役社長を含めた3名は全共闘世代である(1947~1949年生まれ。なお、生年をその前後プラスマイナス1年で数えれば役員8名(7名)中4名、2年で数えれば8名(7名)中5名となる)。40年経っても、思考様式が変わっていないように思われる。

宮部編集部長が、私の論文が「批判そのものがテーマ」となっていると言う際の、「批判」の対象は何を指しているのかよく分からないのだが、岩波書店の出版物・出版活動を批判することが論文のテーマとなっていると言いたいのであれば、これが間違いであることは明らかだろう。私の論文は、リベラル・左派全般の変質をテーマとしており、論文で『世界』が佐藤優を重用していることや、岩波ジュニア新書が右傾化していることを指摘したのは、岩波書店の出版活動がリベラル・左派のジャーナリズムや、市民運動に対して、相対的に大きな影響力を持つと考えたからである。実際に、論文の「注(48)」で引用したが、『金曜日』北村肇編集長も、佐藤優を重用する読者からの批判に対して、「佐藤さんにコラムを依頼したのは、単なる「右派論客」とはみていないからです。実際、何回か話をしたのですが、一流の思想家です。何かと刺激を受けることも多い人物です。岩波書店の編集者や斎藤貴男さん、魚住昭さんらが懇意にしているのも、その「実力」を知ったからと推察します。」(二〇〇七年三月五日付)と、「岩波書店の編集者」が佐藤と「懇意にしている」事実を、佐藤の重用の正当化のための理由として挙げている。

したがって、会社側が、あたかも私が会社への私怨で書いたとでも言いたげに、岩波書店の出版物・出版活動を批判することが論文のテーマとなっていると主張しているのだとすれば、これは、「『週刊新潮』の記事について④:「岩波書店の社内問題」への矮小化」でも書いたように、私の論文が提起した問題を「社内問題」に矮小化しようとするものである。同時にそれは、会社側が、岩波書店が持っている社会的影響力について、意図的に見ないふりを決め込んでいる、ということと同義であると言わねばなるまい。

宮部編集部長の、「行為」ではなく「内面」を重視する姿勢は、私がかつて岩波書店労働組合について指摘した性格と完全に合致する。「『週刊新潮』の記事について⑦:記事の尻馬に乗る岩波書店労働組合」において、私は、岩波書店労働組合が、当初は岩波書店労働組合カベ新聞を「無断で社外に公表する文章に引用すること」を問題にしていたはずが、ある時点から「馬場氏および岩波書店の著者を批判する文脈の中で無断引用」したことが問題だというように、論理がすり替わっていること、すなわち、岩波書店労働組合が、対立する見解であっても言論であれば、言論のレベルで闘わせるという、「言論の自由」に関する最低限の理解すら持っていないことを指摘した。

宮部編集部長も岩波書店労働組合も、建て前としては私の「行為」が問題だとしておきながら、実際には、「意図」を問題にしているのである。労使一体の会社では、精神構造までが労使とも一体化してしまうことを、ここまで分かりやすく示してくれる事例も珍しいだろう。

小野氏の本と私の論文への対応のダブルスタンダードは、宮部編集部長のような「意図」を持ち出すなどするしか説明のしようがないものであるから、問題は、宮部編集部長個人の問題ではなく、会社側の問題として考えるべきであろう。

なお、丸山眞男は、「「である」ことと「する」こと」(『日本の思想』及び『丸山眞男集 第八巻 一九五九~一九六〇』所収)において、「権力関係やモラルでも、一般的なものの考え方の上でも、何をするかということよりも、何であるかということが価値判断の重要な規準となる」社会を「「である」社会」とし、「「である」社会」においては、「いわゆる公共道徳、パブリックな道徳」である「赤の他人の間のモラルというものは、ここではあまり発達しないし、発達する必要もない」とした上で、以下のように述べている。

「歌舞伎の芝居や八犬伝などの読本に出てくる人物を見てみますと、善人はたいてい一〇〇パーセント善事を行い、悪人はまたほとんど悪事だけを行っている。つまり、善人の中身から善事が必然的に流れ出し、悪人からは悪事が流れ出す。これはいわゆる勧善懲悪イデオロギーなのですが、必ずしもそういう意識的な「主義」の産物とはいい切れない。それはつまり、そういう作品を生んだ社会がすみずみまで「である」原理に基づいて組織化されているからこそ、こういう思考様式が支配的になったわけなのです。」

「(注・「である」社会においては)現実の社会悪なり政治悪はこの模範からの偶然的な、一時的な逸脱として、または「事を好む」やからが本来美しい花園を外から荒らすところに生まれると考えられがちです。」

「およそタブーによって民主主義を「護持」しようとするほどこっけいな倒錯はありません。タブーによって秩序を維持するのは、古来あらゆる部族社会――「である」社会の原型――の本質的な特徴にほかならないのです。」

岩波書店役員及び岩波書店労働組合は、「すみずみまで「である」原理に基づいて組織化されている」からこそ、私が「岩波書店労働組合による私への「嫌がらせ」「いじめ」について①」で指摘したように、「個人の行為ではなく個人そのものが問題にされている」のである(あたかも、「善人の中身から善事が必然的に流れ出し、悪人からは悪事が流れ出す」とでもいうかのように)。

そして、これまで何度も指摘しているように(例えば、「『週刊新潮』の記事について⑥:<嫌韓流>を必要不可欠とする<佐藤優現象>」)、こうした岩波書店・岩波書店労働組合の姿勢は、「リベラル・左派が佐藤優を使うことはおかしい」という誰でも抱くような疑問が、あたかも存在しないかのような「空気」を同調圧力の下で共有し、そうした疑問を口にするのを「タブー」とすることを土台にして成り立っているわけである。こんな疑問を口にする人間が、「「事を好む」やから」であり、異常者であると言いたげに。丸山の「部族社会」観等については検討の余地はあろうが、上記の丸山の文章の論旨に対して、私が付け加える点など何もないのだ。

岩波書店の役員たちは、この「「である」ことと「する」こと」を読んでいないのだろうか。これを収録している『日本の思想』(岩波新書)も読んでいないのだろうか。ちなみに、岩波書店役員の一人である小島潔編集部長(取締役)は、『丸山眞男集』(全16巻、別巻1)の担当編集者である。

会社側の、小野氏の本と私の論文への対応のダブルスタンダードは、私への「厳重注意」が、何らかの客観的な基準に基づいて行われたのではなく、会社側の恣意的な意図によるものであり、私への「嫌がらせ」の意図を持ち、私を自発的な退職に追い込むために作られた口実だったことを強く示唆してくれる。「である」社会による、「タブー」を破る「「事を好む」やから」への攻撃である。


(注)『週刊新潮』の記事と「厳重注意」の関係についてより正確に言えば、会社側は、「厳重注意」の基となった、私の論文に関する会社見解は、『週刊新潮』の記事の取材や発表より前に定められたと主張している(「岩波書店による私への「厳重注意」について①」参照) 。そして、私の論文は、「岩波書店を成り立たせる存立基盤を掘り崩すもの」であり、岩波書店の利益を損なうものであるとして、私の論文によって被った会社の不利益の一例として、『週刊新潮』の記事を挙げているのだ。
だが、いずれにせよ、この『週刊新潮』の記事により被ったとする会社側の不利益を、私のせいにする会社側の主張自体が不当である。私の正当な言論活動に対して、事実の捏造も含めた『週刊新潮』の誹謗中傷記事まで私のせいにしているのだから、これでは、「武装勢力」による誘拐を人質のせいにし、日本の「国益」を害するとした、2004年4月のイラク日本人人質事件の際の「自己責任論」と同じではないか。もっと言えば、「武装勢力」による誘拐は、日本や韓国を含めた有志連合によるイラク侵略への抵抗の一環としてなされていたのに対し、『週刊新潮』の記事は、一片の道義的正当性もないから、ここでの会社の主張は「自己責任論」に比べてもより問題である。


(金光翔)
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[ 2008/08/21 00:00 ] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)


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