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岩波書店による私への攻撃② 「鄭大均さんも「岩波書店の著者」」――実質的な退職勧告 

板垣竜太氏は、当ブログに寄せられたメッセージの中で、「私も、一応「岩波の筆者」の部類に入るのかと思うが(それとも単著はないから入らないのかな?何を基準にしているのか、よく分からない)」と記述されている。実は、岩波書店が主張する「基準」はあるのである。

<1>

岩波書店の主張を記述・批判するにあたって、まずは、岩波書店労働組合による配布文書『活動の報告 明日の課題 from JULY2007 to JUNE2008』の、「岩波書店労働組合による私への「嫌がらせ」「いじめ」について①」で引用した箇所に、私と会社のやりとりに関して誤解を与える記述があるので、その点に関して注釈しておこう。

以下の部分である。

「12月7日には拡大経協連絡が開かれ、会社がKさん(注・私のこと)に対して、『I』誌(注・『インパクション』のこと)の論文(注・「<佐藤優現象>批判」のこと)に関して口頭による厳重注意を与えたことが組合に報告されました。会社からは、岩波書店で付き合いのある著者をテーマとするその論文には、社員として節度を欠いた表現があり、社の社会的信用を傷つけると考えて、事情聴取をしたのち注意を与えたとの説明がありました。組合からは、「処分」と「注意」との違い、カベ新聞の引用に対する会社の考え方、今後の会社としての対応などを問い、その場を終えました。会社はこの件について、各部会・課会で事情説明を行いました。」(強調は引用者)

会社が岩波書店労働組合にどんな説明をしたかは知らないが、ここの「岩波書店で付き合いのある著者をテーマとするその論文」という、私の論文に関する説明自体が間違っている。私の論文のテーマは、<佐藤優現象>であって佐藤優個人ではない。その点については何度も述べているのでここではこれ以上触れない。

会社からの私への「厳重注意」で、該当すると思われる部分を記すと、私の論文における「岩波書店の著者」への批判が、著者と岩波書店との間の信頼関係を損なうことにつながる、したがって、今後、「岩波書店の著者」への批判は、やめるべきである、という会社の主張であろう。

私が論文で、会社が「岩波書店の著者」だとする複数の人物を批判したことは事実であるから、上記の引用箇所の記述は、論文の主題を誤って理解しているという点を除けば、それほど誤っていないように思われるかもしれない。だが、この記述だと、私が、岩波書店の常連執筆者である著者を批判したことを、会社が問題にしたように読めてしまう。

だが、会社側の説明、すなわち、「岩波書店の著者」の基準に関する説明は、そうではないのである。私は、2007年11月28日に、会社の言う「岩波書店の著者」とは一体どの範囲を指すのかを質問したが、会社側によれば、それは、岩波書店から1冊でも本を出版するか、または、『世界』等の岩波書店の雑誌で何回か記事を書いた人、ということになるのである(11月28日、宮部信明編集部長(取締役(当時。現在は常務取締役)、小松代和夫総務部長(取締役)答弁)。

そして、会社が問題にしている批判、すなわち、「岩波書店の著者」が執筆した本や記事への批判は、その本や記事の発行元が岩波書店であるか他社であるかは関係ない、と明言しているのである。要するに、「岩波書店の著者」が、例えば、新潮社から出した本や「諸君!」「正論」といった雑誌で書いた記事を私が批判するのも、岩波書店から出た本を批判するのと同じだ、というのである。

私が、例えば、鄭大均も『韓国のナショナリズム』を岩波現代文庫から刊行しているので(2003年)、「岩波書店の著者」ということになるのか、と質問したところ、会社は、岩波書店から本を出しているのだから、山口二郎や上野千鶴子と同じく、鄭大均も「岩波書店の著者」であり、批判を控えるべきなのは同じだ、と回答した。念のために書いておくと、私が、「私は、今後の市民としての活動において、在日朝鮮人としての立場から、鄭大均を批判対象とする可能性が高い」と述べたところ、宮部編集部長は、「まあそうだろうなと思いますね、それは」と言った上で、「岩波書店の著者」については、「イデオロギーの違いは関係ない」と述べている。

言うまでもないが、岩波書店から1冊でも本を出版するか、または、『世界』等の岩波書店の雑誌で何回か記事を書いた人間は、膨大な数に上るし、今後も増え続けるであろう。思いつくままに挙げるだけでも、

西部邁(『ケインズ』岩波書店、1980年)

福田和也(島田雅彦との対談「いま、文化を語る言葉はあるのか(1)~(6)」『へるめす』60~66号、岩波書店、1996~1997年。なお、山口昌男『「挫折」の昭和史』下巻(岩波現代文庫、2005年)で「解説」を執筆)

佐伯啓思(『イデオロギー/脱イデオロギー』岩波書店、1995年)

工藤美代子(『悲劇の外交官』岩波書店、1991年。ちなみに、元「新しい歴史教科書をつくる会」副会長であり、現在、『SAPIO』にて『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』を連載中)

義家弘介(『世界』2004年2月号「座談会 子どもたちの悲鳴がきこえる」、『世界』2004年4月号「なあ、みんな、学校は好きか?」、『世界』2004年臨時増刊(第732号)「対談 ヤンキー先生とカリスマ講師の憲法はこう教える! 」(伊藤真との対談)にそれぞれ執筆・登場。現在は自民党参議院議員)

といった人々も「岩波書店の著者」である。

もちろん、加藤典洋 http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/searchall?author=%89%C1%93%A1%93T%97m&selecter=Author

竹田青嗣(『哲学ってなんだ』岩波ジュニア新書、2002年。ほか、論文・エッセイを岩波書店刊行物で多数執筆)

橋爪大三郎 http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/searchall?author=%8B%B4%92%DC%91%E5%8EO%98Y&selecter=Author

関川夏央 http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/searchall?author=%8A%D6%90%EC%89%C4%89%9B&selecter=Author

といったところは、文句なく「岩波書店の著者」だ。

売れっ子でいえば、

坪内祐三(『日本近代文学評論選』全2冊(岩波文庫、2003・2004年)を編集。山口昌男『「敗者」の精神史』下巻(岩波現代文庫、2005年)で「解説」を執筆)

内田樹 ((『岩波 応用倫理学講義 5 性/愛』(岩波書店、2004年)において、「セックスワーク」を執筆。また、「現代思想のセントバーナード犬」(『図書』2003年4月号)も執筆)

といったところも「岩波書店の著者」になるのではないか。

田原総一郎 (『世界』2000年1月号「佐高信の日本国憲法の逆襲(1)田原総一朗」(佐高信との対談)、『世界』2008年7月号「水面下の交渉は始まっている」)

宮崎哲弥 (『世界』1997年4月号「対談 死に「自己決定権」はありうるか」(小松美彦との対談)、『世界』第668号1997年11月号 「「日の丸・君が代」は必然ではない」)

あたりはグレーゾーンで、

丸川珠代 (『世界』2004年11月号「草の根の保守主義 ルポ ブッシュを支持する人びと」)はもう一歩というところか。

また、物故者はどうなるのか。この人々も批判を控えるべき「岩波書店の著者」になるのか。もちろん、この定義でいけば、小林秀雄も江藤淳も「岩波書店の著者」であり、ただでさえ膨大な「岩波書店の著者」はさらに膨大になることになる。

いずれにせよ、会社の主張では、一切の社会的発言を控えろ、ということとほぼ同じではないか。

会社側は、本気でこのような途方もない主張をしているのだろうか。私には、多分、真意は別にあるのではないか、と考えている。だいたい、もし本気でこのように考えているとしたら、会社は、私への「厳重注意」について、役員臨席の下、各部署でわざわざ臨時部会・課会まで開いて全社員に報告しているのだから(この件については、、「岩波書店による私への「厳重注意」について①」の「(注1)」で少し触れた)、その場でこの「岩波書店の著者」の範囲について言及し、社員の注意を呼びかけるはずだが、そんなことが行なわれた様子は、記録によっても当日の出席者からの伝聞によっても、一切ないのである。

会社は、これだけ途方もないレベルまで「岩波書店の著者」の範囲を広げながら、しかも、社員ではなく個人としての立場からの言論活動は認められないと主張し、今後、会社が問題だと見なす言論活動を行なった場合、今回の「口頭による注意」以上の処分を行なうこともあり得ると主張しているのである。また、こうした会社の主張は、まさに、私への誹謗中傷記事が掲載された『週刊新潮』が、書店やコンビニなどで販売されており、ここで述べたような岩波書店労働組合による私への嫌がらせが行なわれているのと全く同時期におこなわれているのだから、恐らく、こうした波状攻撃と、言論活動へのこうした制約によって、金は、自主的に退職すると会社は考えたのではないか

実際に、宮部編集部長は、この時のやりとりで、「会社の社員という身分を外して、学者になられたりすれば、自由に論評なさっていいわけですよ。鄭大均さんについても同じです」と述べている。同様の、会社をやめれば問題は生じない、という主張は、同日の私との別のやりとりでも繰り返されている。

何度も言うが、「金が岩波書店の社員である以上、個人的立場からの社会的発言は認められない」という、会社の主張自体が異様なのである。例えば、沖縄集団自決訴訟で、私がもし、大江健三郎と岩波書店を訴えている原告の主張が正しい、と個人の立場からどこかの雑誌で発言し、会社が弾圧してきた場合、「思想・良心の自由」「言論・表現の自由」の侵害として大問題になるだろう。それと同じである。

私は、「岩波書店による私への「厳重注意」について① 」で、私の論文が、「岩波書店の著者の、会社への信頼を損なうことにつながる」と述べている件について、「私は論文を個人の資格で書いたのであり、そのことは論文を読めば明白であろうから(社員であるとの情報を出していないのだから)、「言論・表現の自由」を踏まえているならば、論文で批判されて「会社への信頼」をなくす「岩波書店の著者」(が仮にいるとしたら)の方が問題ではないか」と書いたが、もう一度その言葉をここで繰り返しておこう。ましてや、会社は、「岩波書店の著者」の範囲について、上記のような、途方もない主張を展開しているのである。

出版業界外の企業ですら、少しは「言論・表現の自由」に配慮するだろう。ましてやこれで言論機関である「出版社」であり、また、「リベラル」であることを売りにしている「出版社」なのである。呆れざるを得ない。

なお、会社は恐らく、私が「首都圏労働組合 特設ブログ」で執筆を行なう、ということを想定していなかったために、すなわち、外部にバレると思っていなかったために、こうした唖然とせざるを得ない主張を行なったふしがある。そのことは、以下のエピソードが示してくれるだろう。

<2>

年末一時金に関する岩波書店労働組合と岩波書店の協議が2007年11月8日に妥結し、年末一時金が、岩波書店労働組合員に12月3日に支給されることになった(岩波書店労働組合は私を組合員だと主張しているから、私にも支給される。この要求は、もちろん、一時金の二重取りを目的とするものではないし、会社側が二重に支払うこともあり得ない。会社による、一時金支給対象者の位置づけが争点となる)。首都圏労働組合は、会社がこちらの一時金要求書を受け取らなかったため、実質的な会社とのやり取りは岩波書店労働組合員への支給日後の12月5日(社長による、私への「厳重注意」があったのと同じ日)に行なわれた。

その前の回の一時金要求(2007年6月1日支給日)に関し、会社が岩波書店労働組合と妥結した後、2007年5月、首都圏労働組合は会社に一時金要求を行なった。その際の会社(小松代総務部長)の回答は、「一時金は、岩波書店労働組合員だけではなく、5月在職時の部課長を含めた職員(注・社員のこと)全員が支給対象であるから、改めてやりとりをする必要はない」というものだった。私が、それは、「岩波書店労働組合員として支給するのか、それとも、岩波書店労働組合員としてではなく、職員として支給するのかと私は小松代総務部長に確認したのだが、小松代総務部長は、言を左右にしてこの質問には明確に答えなかった。私は、この回答を、金が岩波書店労働組合員として一時金を受け取った、ということにはならない代わりに、岩波書店労働組合にとっては、金が岩波書店労働組合員として受け取っていない、ということにもならないという、玉虫色の結論だと理解した。

ところが、会社(小松代総務部長)は12月5日のやりとりでは、「一時金は、岩波書店労働組合員に支給した。だから、もし支給を要求するのならば、一旦受け取った一時金を会社に返し、再要求するように」と主張してきたのである。私が、「6月1日支給日の一時金のときは、全職員が対象であり、職員として払ったのではなかったのか」と聞いたところ、小松代総務部長は、「それは金の勘違いであり、会社は、当時から金には岩波書店労働組合員として支払ったと認識していた。全職員とは、岩波書店労働組合員と部課長のことなのだから、支給対象者は部課長を含めた5月在職時の全職員、と金に伝えただけだ。もし金が、首都圏労働組合員として一時金を要求するのならば、6月1日支給分と12月3日支給分の一時金を会社に返却した上で、改めて要求するべきだ」と述べてきた。何のことはない、私は騙されていた(馬鹿だった)わけだ。そして、「ただし、会社としては、首都圏労働組合を現在は実体がある組合とは見なしておらず、こちらが納得するに足る判断材料が揃うまで、交渉相手とする気はない」と続けた(この見解の不当性は、、「岩波書店による私への攻撃① 「首都圏労働組合 特設ブログ」を閉鎖させようとする圧力」の「(注1)」参照) 。私は、その場はそれで引き下がった。

そこで、私は、他の首都圏労働組合員とともに、地方労働委員会の認可を得る準備を進めることにした。

ところが、12月14日、私は小松代総務部長から呼び出された。何事かと思いきや、小松代氏は、「12月3日支給の一時金の件だが、改めて検討した結果、組合員に準じて、職員として支払ったということにすることになった」と伝えてきた。「見解を変えたのか」と聞くと、「そうです」という。また、6月1日支給分についても、「その時に遡って、岩波書店労働組合員ではなく、職員として払ったということに決定した」と述べた。

私は絶句して、「なぜ見解を変えたのか。もしくは、12月5日の会社の見解は、会社側の勘違いだったということか」と聞いたが、それに対して小松代総務部長は、「勘違いではない。変えた理由については、ここでは変えたということしか伝えられない。12月5日以降の種々の検討の結果、支給の意味を変えたということだ」と回答した。

なんとまあ、『広辞苑』を出版しているにもかかわらず、<ことば>に軽い会社なのだろうか。12月5日の、小松代総務部長の諸発言は一体なんだったのか。

会社が見解を変えた、恐らく唯一にして最大の理由が、実は、ある。それは、「首都圏労働組合 特設ブログ」が、この前日の12月13日朝に、「『週刊新潮』の記事について⑧:岩波書店労働組合による「嫌がらせ」を容認する岩波書店」を掲載したことである。

そのことは、「岩波書店による私への攻撃① 「首都圏労働組合 特設ブログ」を閉鎖させようとする圧力」でも書いたが、この日の小松代総務部長のやりとり時に、「『週刊新潮』の記事について⑧:岩波書店労働組合による「嫌がらせ」を容認する岩波書店」について、会社と私とのやりとりが出ていたこと自体を問題にし、そうした記事が掲載されている状態では、対話はできないと主張していることからも推定できる。この主張が、会社による、自らの人権侵害を棚にあげた、守秘義務の問題へのスリカエでしかないことは既に述べたが、要するに、会社としては、自分たちの私への攻撃が、外部に出されるのを恐れたわけである。この、12月14日の「見解の変更」も同じことだ。会社は、ブログで自分たちの見解が大っぴらにされないよう、下手に出てきたわけである。だが、逆にこれでは、12月5日の会社側の諸発言が、私への「嫌がらせ」だった、ということを会社自ら認めているに等しいではないか。倫理的な問題を議論する以前に、その稚拙さに唖然とするほかない。

<3>

さて、ここで、「岩波書店の著者」の問題に戻ろう。あの途方もない「岩波書店の著者」の定義は、一体何だったのだろうか。上記のエピソードから考えると、それは結局、私を自主的に退職させるための、12月5日の小松代総務部長発言と同様の、私への「嫌がらせ」だったのではないか。この一連の、一時金要求をめぐる会社の立場の豹変振りを見る限り、私にはそのように思われる。

注意すべき点は、岩波書店による、こうした、「岩波書店の著者」の定義の途方もないレベルまでの拡大や、一時金要求をめぐる会社の立場の迷走は、決して、一部の役員の問題ではないことである。こうした判断・決定を下した役員のうち、山口昭男代表取締役社長は、元『世界』編集長(1988~1996年)であり、井上一夫営業部長(取締役)は、元岩波新書編集長(1990年代の数年間)であり、小島潔編集部長(取締役)は、前『思想』編集長(1993~1999年、2006~2007年)である(元『世界』編集部員でもある)。だから、これはまさに「戦後民主主義」の限界性、もしくは変質の露呈という問題として考えられるべきだろう。

なお、大江健三郎と安江良介の対談本、『『世界』の40年』(岩波ブックレット、1984年)で、当時、「岩波書店取締役、編集部長、兼『世界』編集長」(奥付より)だった安江は、清水幾太郎の60年安保後の「反転」後の発言について、「グロテスク」と批判し、清水について、「レトリックが先に出て、からまわりしてきた知識人」と論評している。清水は当時存命中であり、また、当時刊行されていた岩波新書、岩波文庫、単行本の著者・訳者である。紛れもない、会社が言うところの「岩波書店の著者」である。ところが、安江が「厳重注意」の対象になったという情報は寡聞にして知らない。また、安江が、「岩波書店の著者」への批判に躊躇しているようなそぶりも見られない。

ちなみに、同書で安江は、「戦前に、灰色から暗黒の時代へと押しやられる中で、知識人も言論も膝を屈してゆきました。それは、権力の暴力によるものでしたが、しかし必ずしも権力によらずとも、多くの人々がみずから屈し、変わっていっただろうことを想像してきました」と述べている(同書、51頁。強調は引用者)。

仮に安江が存命であれば、自分の「弟子」たちのこうした振舞いを見て、安江は、戦時期に関する自らの「想像」が正しかったと得心するかもしれない。だが、安江は、自分の「弟子」たちが、「鄭大均さんも「岩波書店の著者」」として、在日朝鮮人社員に対して、鄭への批判を抑えるよう強要するようになることまでは「想像」できたであろうか。地下の安江に聞いてみたい質問である。


(金光翔)
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[ 2008/07/29 00:00 ] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)


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