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岩波書店による私への攻撃① 「首都圏労働組合 特設ブログ」を閉鎖させようとする圧力 

私は、会社とはもともと大して争う気はなかったので、「首都圏労働組合 特設ブログ」においても、会社に対しては、必要最低限だと考えた反撃だけに留めておいた。

だが、岩波書店の小松代和夫総務部長(取締役)の言動から考えれば、そうした私の抑制的な姿勢は、どうやら誤りだったようである。

私は、「岩波書店労働組合による私への「いじめ」「嫌がらせ」について①」において、「私としては、こうした岩波労組の嫌がらせに抗するという自衛の必要上、彼ら・彼女らの主張に対して公的に反論せざるを得ない」と書いた。これと全く同じ理由で、私は自衛のために、会社に対しても、会社の見解について公的に批判・反論する必要があることを、今回の小松代総務部長の言動は示してくれた、と言える。これから書く私の文章は、こうした、自衛の必要上から書かれたものであることに留意されたい。

さて、上記の記事で私は、岩波書店労働組合が、『活動の報告 明日の課題 from JULY2007 to JUNE2008』なる冊子を2008年6月6日に社内の全組合員に配布したこと、そして、その冊子での私をめぐる記述が、事実歪曲に満ちた内容であり、明らかに私への嫌がらせの意図を持って記されていることを述べた。

非常に興味深いことに、この配布とほぼ同じ時期に、株式会社岩波書店は、私への圧力を強めてきているのである。そのことをまず書いておこう。

小松代総務部長は、5月19日、一時金をめぐるやりとりの中で、私に対して、以下のように会社の立場を伝えた。

①会社は、首都圏労働組合が実体がある労働組合であるとは現時点では考えていない(注1)

②したがって、一時金の要求など、金が、首都圏労働組合員としての活動だと主張している件についても、会社が金とやりとりする際には、組合員ではなく、社員として相手をしている。金は、「首都圏労働組合 特設ブログ」なるブログで、執筆活動を行なっているが、会社としては、金が首都圏労働組合員であるとみなしていないので、金は、社員であるにもかかわらず、会社とのやりとりをブログによって外部に漏らしているということになる。

③会社としては、そうした行為を行なう社員からの質問に対しては、回答しない。

何から突っ込んでいいか戸惑うほど、支離滅裂な主張である。①の見解は、昨年11月30日に会社から聞いたことがあるが、「首都圏労働組合 特設ブログ」における私の執筆活動について、社員としての活動だと断定し、そうした行為を行なう社員からの質問には答えない、と会社が明言したのは初めてだ。

まず指摘しておくと、会社の立場からすれば、情報を「外部に漏らしている」金を、なぜ、社員の守秘義務を規定した就業規則に違反しているとして、処分の対象になるだろう。では、なぜ現時点に至るまで、処分の対象にしていないのか?

私が、「首都圏労働組合のブログでの執筆が、労働組合員ではなく、社員としてのものだ、という会社の立場からすれば、私は守秘義務に反しており、就業規則違反である、ということになるのでしょうか」と質問すると、小松代氏は少し沈黙した後、「いや、ここはそういう議論をする場ではありませんので、お答えできません」などと答えた。同日のやりとりの中で、私は、再度「首都圏労働組合のブログでの執筆は、守秘義務に反している、ということなのか」と問うたが、その際には小松代氏は、「それは仮の話ですから、見ないことにはわかりません。どういう表現で書かれるかにもよるでしょうし」などと、未来の話にしてお茶を濁した。こんな回答で逃げられると思っているのだ。

私は当然、「これまでにブログで書かれた内容に関しては、守秘義務に反していると理解しているのですか」と質問したが、小松代氏はこの質問には沈黙した後、「それに関しては、ノーコメントです」と回答した。

また、「会社は、私が情報を外部に漏らしていると主張しているが、会社が首都圏労働組合の存在を認め、金の労働組合員としての活動を認めれば、会社は私の質問に対して答えないという姿勢をやめるのか」と質問したところ、小松代氏は、「そういう仮定の質問にはお答えできない」などと答えた。官僚答弁で乗り切ろう、という姿勢が明白であろう。

言うまでもないが、もし会社が、首都圏労働組合など実在せず、「首都圏労働組合 特設ブログ」での私の執筆活動も、労働組合員としての行為ではないと本気で思っていれば、就業規則違反として私を処分するだろう。ところが、それはしないのである。そうした処分は当然、労使紛争になるが、そうなると会社は困るから、処分はしない、ということだ。

その一方、首都圏労働組合を交渉相手として認めると、ブログで自分たちの主張が伝えられてしまう。会社は、自分たちの主張に自信を持っていないらしい(それどころか、自らの主張の破廉恥さを自覚しているのかもしれない)から、ブログで自分たちの主張が公開されることをなんとかして避けなければならない。また、会社としては、御用組合としての岩波書店労働組合のみを交渉相手とする、ユニオンショップという建て前を崩したくない。こうした理由から、今回の会社の立場が出てきたのだと思われる。

また、首都圏労働組合員としての活動を認めない、と宣言することによって、私を萎縮させ、この「首都圏労働組合 特設ブログ」における私の執筆を控えさせたい、また、会社関係の記事をできれば削除させたい、という意図も働いているだろう。それどころか、なんと会社は、2007年12月14日の小松代総務部長答弁において、その前日に「首都圏労働組合 特設ブログ」にアップされた記事「『週刊新潮』の記事について⑧:岩波書店労働組合による「嫌がらせ」を容認する岩波書店」について、会社と私とのやりとりが出ていたこと自体を問題にし、そうした記事が掲載されている状態では、対話はできないと主張しているのである(注2)。会社は、組合費の徴収の件について、金とは、ブログで公開されることが前提で会話したわけではないから、ブログで書くのはおかしい、などと主張しているのだ。

その記事を見れば明らかなように、会社は、労働基準法の職場環境配慮義務を負っているにもかかわらず、また、行政機関から注意を受けているにもかかわらず、不当であることが明らかな岩波書店労組による私への社内での組合費徴収行為を黙認し、また、行政機関による「あっせん」の提案すら拒否しているのである。会社は、「会社とのやりとりをブログによって外部に漏らしている」などと私を批判するが、上記の記事を見れば明らかなように、会社とのやりとりに関する私の記事は、会社による私への人権侵害に抗議するために書いているのである。会社は、自らの人権侵害を棚にあげて、それを守秘義務の問題にすりかえ、回答を拒否しようとしているのだ。最低の倫理感覚であり、呆れた隠蔽体質であると言わざるを得ない。

いずれにせよ、上記の、私と小松代氏のやりとりにおいて、小松代氏が私の質問に答えられていないことは明らかだろう。会社側の主張が支離滅裂であるということを、自分から白状しているようなものだ。

今回の会社の主張は、特定の社員に対して差別的に取り扱うことを、岩波書店が公然と宣言したという意味で、極めて重要なものである。

念のために注釈しておくと、会社が仮に、私が「外部に情報を漏らしている」として処分の対象にした場合は、労使紛争にはなるとしても、差別的な取り扱い、ではないのである。

また、首都圏労働組合とは交渉したくない、と会社が考えている場合、金の、社員としての会社への質問には応じるが、首都圏労働組合員としての会社への質問には答えない、という立場もありえよう。もちろんこの場合も労使紛争になるが、社員としての金への差別的取り扱い、ではないのである。

ところが今回、会社は、社員としての金の質問には応じない、と言っているのだから、これが、私に対する、他の社員との差別的取り扱いであることは明らかである。

「岩波書店労働組合による私への「いじめ」「嫌がらせ」について①」を読まれた読者の中には、ここで、岩波書店労働組合の私への扱いを思い出す人もいるであろう。そこで私は、岩波書店労働組合が私に対して差別的な取り扱いを行なっていること、田村真理委員長及び執行委員会が、私の質問に対して、「一切答えない、というのが回答」という態度を貫いたこと、そして、そうした態度をとったのは、「言質を取られるようなことを発言して、首都圏労働組合のブログで書かれるとまずい」と考えたからだと思われることを指摘した。

今回の小松代氏の私への対応や発言が、こうした、田村委員長及び執行委員会の私への姿勢と、ほぼ完全に同じ形をしていることは明らかであろう。壮観ですらある。ある集団が、お互い同士で同型的な方向に思考を促進しあい、外部から見れば恐ろしく歪んだ思考様式になることは、往々にしてあることだろうが、この、小松代氏と田村氏の私への対応及びその論理の同型性は、そうした事例の最たるものであろう。労使一体とは、思考様式までが一体化することなのである(こうした一体化を示す例は、後日さらに追加する)。

だから、岩波書店労働組合について、「岩波書店労働組合による私への「いじめ」「嫌がらせ」について①」で書いた以下の文章は、そのまま、小松代氏及び岩波書店にも当てはまる。

「岩波書店労働組合は、「個人に対する差別的な取扱いはよくない」という、最低限の社会意識が欠落しているのである(ハンナ・アレントの有名な言葉を借りれば、「人権」の根底を支える、「諸権利を持つ権利」をこの連中は否定しているわけである)。」

「自分たちが個人に対して差別的な取扱いを行なっていることが書かれるのは社会的にまずい、という認識が欠落している・・・最低限の政治的リアリズムすらないのだ。」

さて、冒頭で私は、今回の小松代氏の私への圧力が、岩波書店労働組合による私への攻撃と時期を同じくしていることを指摘した。

私は、御用組合たる岩波書店労働組合が、私の件に関して、会社側の内々の許可もなく、勝手に動くことはないと見ているので、今回の岩波書店労働組合による私への攻撃も、会社が煽ったか、ゴーサインを出したかのいずれかだろうと考えている。笑えることに、岩波書店労働組合による私への組合費の徴収にあたっては、以前は執行委員が私の勤務中に私の座席までやってきて、支払うよう督促していたのに(これについては「『週刊新潮』の記事について⑦:記事の尻馬に乗る岩波書店労働組合」参照)、「首都圏労働組合 特設ブログ」開設以降は、わざわざ私の不在中に組合費請求書を私の席に置いていくようになっている。組合費徴収担当の執行委員が、小松代氏と昵懇の間柄であるから、こうした徴収方法の変質には、金に会社への攻撃材料を与えたくないという、会社側の意図が反映されている、と見るのが自然であろう。

仮に、岩波書店労働組合による私への攻撃が、会社とは無関係に行なわれたとしても、会社が、この5月半ばから、私への圧力を強めてきたという事実は残る。会社としては、ほとぼりはもう冷めた、もうそろそろ再攻撃可能だ、と考えたのだろう。

会社への私の抑制的な姿勢は、誤りだったようだ。これから何回かに分けて、昨年末を中心とした、岩波書店の私に対する攻撃を記述し、批判していく。


(注1)会社は、首都圏労働組合に実体があると判断する、規約などの材料を自分たちは持ち合わせていないと言っているが、では規約を渡せばいいのか聞くと、それはあくまでも検討材料の一つだ、とのことである。組合に実体があると認める客観的な基準を示さず、実体があるかを判断する主体はあくまでも会社側、という論理なのだ。労使対等という、労働法の基本原則から乖離していることは言うまでもない。こんな論理ならばいくらでも「実体があると判断する」ことを先延ばしできるから、実際には、会社が、首都圏労働組合が労働委員会による資格審査に通って、法人として不当労働行為の救済申立ができるようになるまで、「実体があると見なさない」ということだろう。

(注2)ただし、会社はこの時は、今回の主張の②のように、金が「首都圏労働組合員としての活動だと主張している件についても、会社が金とやりとりする際には、組合員ではなく、社員として相手をしている」、金が「社員であるにもかかわらず、会社とのやりとりをブログによって外部に漏らしている」とまでは言ってきておらず、今回の主張の①もこの時のやりとりでは発言されていない。


(金光翔)
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[ 2008/07/23 00:00 ] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)


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