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岩波書店による私への「厳重注意」について① 

私は11月28日(『週刊新潮』発売日1日前)に、会社から、私の論文が、「著者・読者・職場の信頼関係を損なうものであり、岩波書店を成り立たせる存立基盤を掘り崩すものだと考える」との見解を伝えられ、それ以後、何度かやりとりを行なった。その結果、12月5日、岩波書店(社長)より、今回の論文の発表について、「口頭による厳重注意」を受けた。「社員でありながら、あの論文を公表したことは、岩波書店の社会的な信用を傷つけた。今後はこのような行為は慎んでほしい」とのことであった(注1)。

私は、この会社の「口頭による厳重注意」および一連のやりとり(注2)での会社の見解のいくつかには異議を唱えざるを得ない。以下、問題点、興味深い点を取り上げる。

まず取り上げたいのは、私の論文によって、論文で名前を挙げられた馬場公彦の「仕事がやれなくな」ったとする、11月28日の会社の発言である(会社側出席者は、編集部長(取締役)、総務部長(取締役))。

編集部長は、「金の論文は、著者・読者・職場の信頼関係を損なうものであり、岩波書店を成り立たせる存立基盤を掘り崩すものだと考える」と述べ、「職場の信頼関係を損なう」ことについて説明した。以下は、その点に関するやりとりである。
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編集部長(以下、編)「社員が社員を外で公然と批判するのは会社が困るということです」

金「会社が困るというのは?」

編「岩波書店に対して、読者・著者が非常に困惑するということだ。現実に、馬場君(注・私が論文で何度か文章を引用した馬場公彦氏。引用の一部は、⑦の注3参照)も著者と仕事をしているわけだけれど、こういうふうに書かれるわけだから、同じ社員の同僚から。仕事がいかにやりにくくなるかということですよ。仕事がやれなくなるんですよ、うまく。馬場君と佐藤さんはこういう関係で、佐藤みたいな右翼みたいなやつを引きずりこんだのは馬場だ、と社員が批判してると、馬場君はね、ひょっとしたら佐藤さんに関して批判的な著者だってつきあうわけだから、「え、そんな人だったのか」というふうに思うこともあるし、とにかく非常にやりにくいことは間違いないわけですよ。編集者は、著者といろいろ共感をもって仕事をするけれども、著者と編集者は全く一体化しているというわけではなくて、著者の見解を丸ごと100パーセント是としているわけではないわけですよ。こんな形で馬場君の名前が出されて、社内から批判されたら仕事をやりにくいことは間違いないですよ。そう、私は思っています、会社としては」

総務部長「会社としても、そういう見解です」
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私は、会社のこの発言に唖然としてしまった。編集部長の発言を読めば、会社が、馬場氏が「仕事がやれなくなる」理由として、社員が社員を批判するという点(注3)よりも、馬場氏が佐藤と懇意にしていることを私が書いた点を重くみていることは明らかだろう。「会社は、要するに、馬場氏と佐藤との仲をなるべく隠したかったのに、私が暴露したから、佐藤に批判的である書き手と馬場氏が、仕事ができなくなったではないか、と言いたいわけである。

だが、それは、馬場氏及び会社の問題ではないか。馬場氏が、佐藤に批判的な書き手に、佐藤がいかに素晴らしいか、佐藤を岩波書店が使うことがなぜ必要か、を説明すればいいだけの話である。また、この編集部長によれば、佐藤は、「岩波書店のかなり中心的な著者の一人」(11月30日の私への発言)らしいから、「佐藤さんに関して批判的な著者」に対しては、この編集部長(馬場氏の上司でもある)が、会社にとって佐藤がいかに大切な存在かを語ってもよいのではないか。はっきり言えばいいではないか。

<仕事ができない>のは、佐藤を使う理由が<説明できない>からではないのか。

この会社は、「言論」で説明すべきことを、隠蔽しようとし、隠蔽に協力しなかったとして私を批判しているのである。一応、言論機関なのだから、少しは恥の感覚を持った方がよいのではないか。外部にバレなければ何をやってもいい、というのではなくて。

私は⑦で、岩波書店労働組合による私への「嫌がらせ」「いじめ」を指摘したが、この編集部長の発言(私は、編集部長のこの箇所での語気の激しさに驚いたものだ。岩波書店労働組合執行委員会の集団ヒステリーぶりに、ちょうど見合っている)から考えれば、こうした「嫌がらせ」「いじめ」の背景にも、論文全体に対する編集者たちの<仕事ができない>という憤懣があったのだと思われる。執行委員の一人である『岩波講座 アジア・太平洋戦争』の担当編集者など、そりゃ危機感を持つだろう。無論、その憤懣・危機感を、会社にではなく、『週刊新潮』の記事の尻馬に乗って私にぶつけてくるところに、この人たちの悲惨さがある。

また、そもそも、佐藤と馬場氏の関係など、佐藤や馬場氏自身がいくらでも書いているではないか。佐藤は『獄中記』(岩波書店)の終章では、馬場氏との付き合いについて、1頁近くに渡って書いているし、そこでの記述「そもそも筆者(注・佐藤)のデビュー作である『国家の罠』も馬場さんが「佐藤さんが体験したことは日本のナショナリズムについて考えるよい材料となるので、是非、本にまとめるべきだ。時代に対する責任を放棄してはならない」と「最後の一押し」をしてくれなければ、新潮社から本を出すという決断を私はできなかったと思う」とほぼ同じ文章は、『国家の罠』にもある(398頁)。

また、馬場氏は、岩波書店のホームページの『獄中記』に関するページで、「編集者からのメッセージ――佐藤優とは誰か?」なる文章を書いており、「彼(注・佐藤)の不自由さに倣って酒断ちを試みた」、「獄中記を通して佐藤さんの気高い憂国の士としての姿が迫ってきたとき,この作品は僕にとっては単なる記録文学としてではなく,我が行く末への導きの書としての光彩を帯びはじめたのだ」とまで書いている。私が改めて暴露するものなど、何もないではないか。論文を読めば分かるように、馬場氏の文章は、<佐藤優現象>を擁護し、推進するリベラル・左派の編集者の認識を示すものとして、<佐藤優現象>を読み解くにあたって必要だと考えたために引用したものである(だから、馬場氏が私の論文に異論があるならば、「言論」で反論すべきだ、と言っているのである)。

次に取り上げたいのは、同じ11月28日の同じやりとりの中で、会社が、私の論文が、「岩波書店の著者の、会社への信頼を損なうことにつながる」と述べている件についてである。ここは、「岩波書店の著者」からの抗議が具体的にあったのかが不明確である。私は論文を個人の資格で書いたのであり、そのことは論文を読めば明白であろうから(社員であるとの情報を出していないのだから)、「言論・表現の自由」を踏まえているならば、論文で批判されて「会社への信頼」をなくす「岩波書店の著者」(が仮にいるとしたら)の方が問題ではないか。では、具体的に、そんな「岩波書店の著者」はいたのか?この件に関するやりとりを見てみよう。
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金「この会社の見解(注・「厳重注意」とは別の、論文に関する会社見解)と、見解を私に伝えるという決定は、いつ決められたのでしょうか」
編「先週の役員会で議論して決めました」
金「著者との信頼関係を失うことになるとあるが、私の論文で名前を挙げて批判されている著者から抗議または照会が具体的にあったのですか」
編「それ(注・会社の見解と、見解を金に伝えること)を決定する時点まではないです」
金「今のところはないということですか」
編「それはちょっと微妙ですね」
金「微妙?」
編「こういうことをあなたと話をしようと決定した時にはなかった」
金「その後にはあったということですか」
編「うん、そこはちょっとまだはっきり言い難いところですね」
金「私に言おうとしたというのは、木曜日(注・役員会の日)の決定ということですよね」
編「木曜日に全てを決定したということではなくて」
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会社は、役員会で議論して決めたのはこの日であると主張している日(11月22日。ただし、「木曜日に全てを決定したということではなくて」とも言っているから、ここでの会社の説明は一貫していない)以降については、著者からの抗議があったことを否定していない。この著者とは誰か?岩波書店に対して「激怒」しているという、佐藤優である、と考えるのが妥当であろう。もし会社が、実際に佐藤から抗議を受けたのならば、今回の件の社会的な重要性に鑑みて、そのことを公表すべきだろう。

この「口頭による厳重注意」に関連する会社とのやりとりにおける問題点、興味深い点については、随時、取り上げていく。

(注1)会社によれば、この「口頭による厳重注意」は、「就業規則に基づく処分」ではなく、私の「個人情報」、「プライバシー」として位置づけられるものとのことである。だが、このことは、全社員及び岩波書店労働組合には伝えたとのことであるから(12月14日、総務部長発言)、「プライバシー」でもなんでもない。

(注2)会社によれば、「厳重注意」において、私の論文を「岩波書店の社会的な信用を傷つけた」としている理由については、既に一連のやりとりの中で説明しているはずとのことであるから、これらはひとまとまりとして考える必要がある。なお、会社によれば、『週刊新潮』の記事によって生じた会社への不利益も、私が論文を発表したことに責任があるとのことであるから、この「岩波書店による私への「厳重注意」について」は、「『週刊新潮』の記事について」の続きでもある。

(注3)そもそも、この批判自体がおかしい。論文を読めば分かるように、引用した馬場氏の発言は、論文にしても壁新聞の文章にしても、公表された「言論」なのであるから、私が個人の資格で批判することは何ら問題がないはずだ。

(金光翔)
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[ 2007/12/19 00:14 ] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)


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