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差別発言への注意は「非常識」――岡本厚『世界』編集長の私への怒り 

私はこれでも、岡本厚『世界』編集長については一応批判を控え目にしてきたのだが、個人ブログの記事(「岡本厚『世界』編集長の「逆ギレ」」)で書いたような対応に接して、こうした抑制が馬鹿馬鹿しくなったので、以下、記しておく。


そもそも、私が岡本氏に『世界』編集部からの異動願いを出したのは、基本的には佐藤優を使うという『世界』の編集方針を理由としたものだが、もう一つ、『世界』編集部内での、差別発言への私の批判をきっかけとした人間関係の極端な悪化の問題もあった。この件の経緯を簡単に説明しよう。

その前に、当時の『世界』編集部内の人員を簡単に見ておこう。

当時の編集部の人員は、岡本氏を入れて6名である。私の他、年齢順で挙げると、30代後半~40代の女性が2人(うち1人をA氏とする)、30代後半の男性、30代前半の男性(現在は他部署)がいた。すべて私より年上である。

『世界』編集部に2006年4月に異動して、私が驚いたのは、配偶者が中国人とのことであるA氏(もちろん日本人)が、中国人差別発言を大っぴらにしていることと、それを聞いている岡本氏を含めた編集部員たちが誰も注意しないことであった。「中国人は嘘つき」「中国人は腹黒い」「中国人は約束を守らない」といった発言を日常的に行い、会議中でも平気でそうした発言をしていた。日本社会の否定的な側面についても、「まるで中国みたい」といった表現を使っていた。

私の前職は、出版関係とは無関係の仕事であったが、その職場でも、学生時代にアルバイトで働いたいくつかの職場でも、『世界』編集部の前にいた宣伝部でも、こんな差別発言を公然とする人間にお目にかかったことはなかった。しかも、それを誰も注意しないのである。よりによって「良心的」「進歩的」ということになっている雑誌の編集部が、こんな状態であることに、私は唖然とせざるを得なかった。

私はこうした発言を聞くたびに、非常に不快に思ったが、異動してきたばかりであり、部内では最も若輩という引け目から、黙っていた。そうした発言を注意できない自分の怯堕にも腹が立った。

他の編集部員はどのように思っているのだろうか?私は、30代後半の男性に、この件についてどう思っているか聞いてみた。確か、2006年の夏から秋頃だったと思う。

彼の見解は、「Aさんがそうした発言をしているのは、彼女が母親に電話して、夫や夫の実家の愚痴を言っているときだろう。プライベートで言っているだけなのだから、いいのではないか」とのことであった。

私は、A氏が母親にそうした愚痴を言っている光景に出くわしたことはないが、この人物はそこでそうした発言を聞いていたらしい。私は、A氏が、会議中や職場の日常でもそうした発言をしていることを指摘した。また、「プライベート」というが、職場で(自分の席で)電話しているわけだから、プライベートも何もないだろう。

いずれにせよ、この男性は、A氏の差別発言を特に問題視していないことがわかった。

その後、2006年の秋頃、A氏とたまたま職場で2人になった際、A氏は仕事上の電話の中で(私は彼女の真向かいの席なので、聞きたくもないのに声が聞こえてくるのである)、ロシア人は何を考えているかわからないといった話をしていた。彼女は別の時に、ロシア人を「ロスケ」などと呼んでいたこともあり、私は我慢できなくなって、彼女が電話を終えた際、職場で特定の民族についての差別発言を聞くのは不愉快であり、今後やめてほしいこと、自分が彼女の中国人に関する差別発言を不愉快に思っていたことを伝えた。

A氏は、「それは差別ではなく嗜好だ」と答えた。私が、「嗜好」とは好き嫌いであって、差別とどう違うのか、と反論したところ、A氏は「じゃあどう言えばいいの?『中国人は商慣行が違う』とでも言えばいいの?」と激昂した口調で言い、それでその場は終わった。

私は、そのやりとりまでは、A氏ともそれなりにやりとりしていたのだが、その後、A氏は私に一切口を利かないようになった。

それだけならばまだよいのだが、その後、A氏は、編集会での私の企画提案に対して、私からすれば言いがかりとしか思えないような批判をやってくるようになった。A氏の批判には、その親友たるもう一人の女性はたいてい援護射撃をし、30代の男性二人は大抵それには逆らわないので、編集会は、私には大変やりにくい場となった。

一例を挙げれば、私が出した企画案の論旨に対して、A氏が、自分がインターネットで見たサイトの記述内容と違っていると強く主張して企画が潰れたため、編集会の後で、A氏の席に行ってそのサイトについて聞いたところ、A氏は、英語サイトを検索すればすぐ出てくる、と私の方に顔すら向けずに答えた。私はその後に検索したが分からなかったので、A氏の席に行って、分からなかったからそのサイトを教えてほしいと改めてお願いしたのだが、今度は返事すらしない、といった調子である。

これでは仕事ができないので、私は、岡本氏に仲裁してもらおうと思い、私が彼女を注意したことをきっかけに、関係が極度に悪化し、業務にも支障を来たしている旨を説明した。その上で、もし、自分の言い方がきつすぎるとA氏が思っているようであれば、その点はお詫びするので、3者で話し合いの場を持つなどして、私と彼女の間を仲裁してほしいとお願いした。

すると岡本氏は、自分もその件は複数の編集部員から聞いている、と答えた上で、以下のような見解を述べた。


・そもそもA氏の夫は中国人なのだから、彼女が中国人に対して差別的認識や差別感情を持っているはずがない。だから、A氏の中国人に関する発言は、軽口の範囲として認識すべきであって、みんなそうしているし、金のように注意するのは非常識だ(岡本氏は、怒りながら、光栄(?)にも、「あの小熊君ですらこんな非常識なことはしなかった」とまで言ってくださった)。

・A氏が差別感情を持っているとしても、金が、本当に彼女の差別的認識を変えたいのであれば、糾弾ではなくて(注・私は糾弾などしていないのだが)、もっと別のやり方があるはずだ。

・この件で悪いのは金なので、自分は改めて仲裁の場を持つ気はない。


私は唖然として、反論したが、岡本氏は聞く耳を持たなかった。

『世界』編集部では、この後、A氏を中心として編集部員全体で私へ「シカト」を行うような、「職場いじめ」と言わざるを得ない状態が続き、こんな状態の職場環境で、しかも会社に残っての徹夜作業も珍しくない(残業代は出ない)ような労働環境で、佐藤優を使う編集方針に従うのも馬鹿馬鹿しいので、岡本氏に異動を希望した、というのが経緯である。

私はA氏に、差別感情をなくしてほしいなどという、高尚な(?)希望を持っていたわけではない。職場でそうした発言をするのはやめてほしい、と言ったのである(岡本氏は上記のように誤解していたので、その場で改めてそう説明したのだが)。社会常識からしても、そうした民族差別発言が横行している職場環境はおかしいし、法的にも、会社には職場環境配慮義務があるのだから、岡本氏は職制として、そうした発言が横行しないように措置を講じる必要があるだろう。

仮に、配偶者が朝鮮人である日本人(『世界』編集部員)の朝鮮人差別発言を、私が注意した場合、岡本氏はどのように答えるだろうか。「朝鮮人への差別感情を持っているはずはないから、聞き流すべきであって、金が批判するのは非常識だ」とでも言うのだろうか。本当に言いそうで怖いが。

岡本氏やA氏には多分、「進歩的」で「良心的」な、「日本唯一のクオリティマガジン」の担い手である自分たちが、差別発言などするはずがない、という大前提があるである。自分たちの発言が差別発言のはずがないのだから、それを差別的だと感じたり不快に思ったりする方が異常であり、非常識である、という図式だ。

これではまるで、小泉元首相の、「自衛隊の活動しているところは非戦闘地域である」という有名な答弁のようである。ただ、一点違うと思われるのは、小泉が恐らく、自分の発言が滑稽であることを自覚しているのに対して、岡本氏は本気だ、という点である。

私は排外主義的主張や「言論の自由」への挑戦的発言を繰り返す、佐藤優を岩波書店や左派ジャーナリズムが使うことを問題にしてきたが、考えてみれば、それも不思議なことではないのである。この事例が示しているように、彼ら・彼女らは、明白な民族差別発言にすら、特に違和感を持っていないのだから。多分、当事者(この場合では、中国人やロシア人)がその場にいれば、それに配慮する、というだけの話である。当事者がいない場所では、何を言ってもいいのだ。

また、この「首都圏労働組合特設ブログ」で書いているように、岩波書店、岩波書店労働組合は、異分子の言論を徹底して封殺しようとした(している)のであって、この点から考えても、彼ら・彼女らが、「言論の自由」を尊重する気を持ち合わせているとは全く思えない。

彼ら・彼女らの言う「言論の自由」「思想・良心の自由」とは、国家権力のメディア規制や国旗・国歌の押しつけに対抗する際の道具であって、自分たちの主張に違和感を持つ人々に対しては、絶対に適用されないのである。まだ、右派ジャーナリズムの方が、左からのこうした批判を意識しなければならないだけに、ましであると思う。

マスコミ業界人は独善的だ、というのは往々にして指摘されることではあるが、そうした傾向が、「良心的」「進歩的」といった社会的評価と相まって、歯止めがかからなくなり、左派が陥りがちな「同調圧力」で促進されて、このような環境ができてしまったのだと思う。

この差別発言に関する岡本氏とのやりとりは、『世界』が自発的には、佐藤優を使い続けることをやめるはずがないことを、よく示していると思う。佐藤を使い続ける(使い続けてきた)ことへの批判は、「岡本厚『世界』編集長の「逆ギレ」」)で書いた、岡本氏による私への電話対応と同じように、徹底した憎悪を持って返されるだろう。自分たちのような「進歩的」で「良心的」な、「日本唯一のクオリティマガジン」の担い手が、佐藤と組んでいるからといって、社会に悪影響を与えるような雑誌であるはずがない。こんなに「良心的」な誌面を作っている(作ってきた)のだから、自分たちにそのような悪意があるはずがない。批判するのは、自分たちの思いを理解しようとしない、非常識かつ異常な輩である、と。


(金光翔)
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[ 2009/06/25 00:00 ] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)


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