スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

読者からの岩波書店あてのメール 

私の個人ブログ「私にも話させて」や、「首都圏労働組合特設ブログ」の記事の読者(この方は、岩波書店の読者でもある)から、以下のメールを岩波書店宛にこの4月16日に送った旨の連絡をいただいた。この方によれば、岩波書店からの回答は、4月25日に至っても来なかったという。結局、岩波書店は、この方の質問を黙殺したようである。私の論文を賞賛してくださっていて面映いが、随所に鋭い指摘を含む大変興味深い内容だったので、ご本人の了承を得て掲載させていただく(一部、誤字・文献表記・役職名を修正した)。

この方が「岩波書店および岩波書店労働組合の言動の異様な不可解さ」として取り上げている点は、この「首都圏労働組合特設ブログ」の私の記事の読者の多くが、同様な感想を持つ点ではないかと思う。私も岩波書店がこの疑問にどう答えるか、大変興味がある。

岩波書店は、この方が言うところの「読者の不審に真面目に応じる道義的責任」を自覚して、この読者に回答した上で、こうした疑問について公的に見解を明らかにすべきだろう。文面をお読みいただければ明らかだと思うが、ここまで誠実かつ真摯に、岩波書店の行く末への憂慮すらにじませながら問うている読者からのメールに対して、一片の形式的な回答すら送らず完全に無視を決め込むのでは、出版社としての読者への最低限の誠意すら欠けている、と言われても仕方ないのではないか。

また、この方が取り上げ、批判している佐藤優の発言(「アラブの原理主義やパレスチナの極端な人たちの中から、「佐藤は日本におけるイスラエルの代弁者だ」ということで、「始末してしまったほうがいい」と言ってくる人たちが出てくるかもしれない。それはそれでかまわない。それを覚悟で贔屓しているわけです。しかしそれと同じように、アラブを贔屓筋にしている人たちは、イスラエルにやられても文句は言えないですよという話です。たとえばアルカイダ、ハマス、ヒズボラのテロリストを支援するような運動をやった場合、これはイスラエルにとって国家存亡の問題ですから、その人は消されても文句は言えない。それくらいの覚悟が求められる贔屓筋の話だと思います。)は、以前にもそれらしき発言を指摘したが、佐藤が「言論の自由」を原理的に否定していることを示す、重要な発言である。

佐藤は、自身の批判者である小林よしのりに対して、自身について「モサド(イスラエル諜報特務庁)などと「言論封殺魔」(注・佐藤のこと)が関係をもったことがあり、インテリジェンス業務の経験があるならば要注意です」などと言っているが(この発言については、「佐藤優のイスラエル擁護に嫌悪感を抱かないリベラル・左派の気持ち悪さ」でも触れた)、上記の発言から考えれば、まさにこれは「言論封殺魔」と呼ばれるにふさわしい威嚇だと言えるだろう。

この方は佐藤の発言について、「社会の公器をつかってこのような物言いの主張をする人は初めて見たように思います」(強調は引用者)と当然の感想を述べているが、岩波書店の山口昭男社長は、こうした佐藤の「言論の自由」の原理的な否定について、どのような認識を持っているのか、見解を明らかにすべきである。

なお、この方が岩波書店にメールを送った4月16日は、奇しくも、岩波書店が岩波現代文庫の新刊として、佐藤の『獄中記』を発売したのと同じ日である。岩波書店は、なぜ岩波書店が佐藤を使い続けるのかという疑問は一切黙殺して、ひたすら既成事実を作ろうとしているように見える。これは、以前から指摘しているような『金曜日』の姿勢、すなわち、佐藤をひたすら、より一層使い続けることで、あたかも自分たちが佐藤を使うことへの疑問自体が存在しないかのような<空気>を作ろうとする姿勢と、完全に同一である。自ら、疑問には回答不能であることを示しているようなものだ。

ちなみに、笑うべきことに、岩波現代文庫版の『獄中記』の企画・担当編集者である佐藤司(山口二郎と昵懇の編集者)と、単行本版の『獄中記』の企画・担当編集者である馬場公彦の2人は、共同で、『ジャーナリズムの条件』(全4巻)なるシリーズを過去に編集している。「言論の自由」を原理的に否定する人物と結託する人々が吹聴する「ジャーナリズム」とは、端的に、「ブラック・ジャーナリズム」ではないのか、という私の疑問に対して、彼らや山口社長や岩波書店の役員たちは、どのように回答してくれるのだろうか。

(金光翔)


-----------------------------------------------------------
岩波書店代表取締役社長 山口 昭男 様

岩波書店役員 ご  一  同  様


金光翔氏の論文「<佐藤優現象>批判」が発表されてもう1年余がたちました。御社に対し、この論文をめぐって起きた問題にかんする意見を述べたメールを送らせていただくのは、これで3回目になります。またご一読いただければ幸いです。

初めに述べさせていただきますが、私は金光翔さんのブログや『首都圏労働組合』において「事実」として書かれていることは基本的に「事実」とみて差し支えないと認識しています。と言いますのは、もし岩波書店及び岩波書店労働組合にかんして事実に反した事柄が事実として記述されているのなら、皆様方は金さんのインターネット上での言論活動を承知しているとのことですから、これまでに必ず誤りの指摘なり反論なりがなされていただろうと考えます。が、管見のかぎりではこれまでのところそのような指摘を耳目にしたことはまったくなく、したがって、以下事実関係については金さんの記事を信頼した上での記述になります。

もしそうではない、これは違う、という部分がありましたら、率直にご指摘いただければありがたく存じます。

昨年12月10日、金光翔さんは『首都圏労働組合』において、「岩波書店代表取締役社長・山口昭男氏と佐藤優」というタイトルの記事をアップされました。佐藤優氏が雑誌『SPA!』(2008年12月9日号)の連載記事のなかで『首都圏労働組合』を「ユウレイ組合」と記述したことに着目・言及した内容で、そこでは佐藤氏のその見解が岩波書店の上層部がこれまで金さんに対して明らかにしてきた『首都圏労働組合』に対する見解と大変よく似ていること、そのためにもともと持っていた『週刊新潮』の「「佐藤優」批判論文の筆者は「岩波書店」社員だった」と題された記事の作成過程に岩波の上層部が関与していたのではないかという疑いをさらに強めたことが述べられています。

この部分を読んだ時、私は「アッ」と思い、なんともいえない衝撃を受けました。いくら何でも出版社が、それも岩波のように、好悪の感情は当然さまざまに存在するにしろ、創業以来今日まで良識ある出版社と社会に認知されてきたはずの出版社が、それも役員の人々が、このように自らの社員を他雑誌に売り渡すかのような行動をすることがありえるのだろうかという信じがたい気持ちがしたのです。けれども一方、金さんの文章を読みながらひしひしと感じとらないわけにはいかなかった岩波書店および岩波書店労働組合の言動の異様な不可解さは、このような見方をしてはじめて理解が可能である、これでようやく納得がいく、というような感触をうけたことも事実です。

不可解だと感じた事柄は、たとえば以下のようなことです。

①虚偽の記事を書いた『週刊新潮』に会社として抗議はしないのか、と金さんがある役員に質問したところ、「記事に虚偽があるとかないとか論じようとは思わない。会社に危害があれば別ですけど。会社に被害があるなら考えますけどね。」という回答が返ってきた。それにもかかわらず、金さんは、「私が論文を書いたから、『週刊新潮』が記事にし、それにより会社が被害を被った」ということを理由の一つとして「厳重注意」処分を受けた。

②金さんが『週刊新潮』の記事に出てくる「岩波関係者」が誰であるかについて社内調査するかどうかを会社に問うたところ、会社は「調査しない」と答えた。理由は、「岩波関係者」としか記述がないから、社員であるか著者であるか関係業者であるか分からない。

上記の①について述べますと、記事に虚偽があるかないかは問題ではない、会社に被害があるかどうかだけが問題だ、という発言は出版に携わる人の言葉とは思えません。これでは、会社すなわち役員である自分たちさえ困ることにならなければ、社員が捏造記事や人種差別に類する内容の記事を書かれようと知ったことではないということになるのではないでしょうか? 少なくともそのような憶測をされても仕方がないだろうと思います。今後また岩波の社員が『週刊新潮』などの他雑誌に捏造記事、中傷記事を書かれるようなことがあったとしたら、その場合も皆様方は今回と同様の対応をとられるのでしょうか? 「君が週刊誌に悪辣な記事を書かれることによって、どんなに精神的痛手を受けようと、名誉を傷つけられようと、会社は関知しない。なぜなら会社は被害を受けてないから。」とおっしゃるつもりなのでしょうか?

もっと驚くべきは、「(金さんが)論文を書いたから、『週刊新潮』が記事にし、それにより会社が被害を被った」という後半部分のご発言です。まず前半部分とは意味内容が逆になっています。前半では、会社は被害を受けてない(だから『週刊新潮』に抗議しない)ということだったのに、今度は会社が被害を被ったから処罰する、ということになりますが、失礼ながら、率直に言ってこれほどまでに矛盾の明白な見解を述べていたのでは、子どもにだっておかしいと思われるのではないでしょうか。しかしこの部分で最も重要なのは、論文の発表がすなわち『週刊新潮』の記事を呼んだ、元凶は論文である、という皆様方の認識そのものだと思います。この認識は非論理的なこともさることながら、あまりにも非倫理的なのではないでしょうか? それとも岩波書店の役員の方々は『週刊新潮』に対して常日頃からまったき信頼と敬意を寄せてきているということなのでしょうか? または普段はそうではないけれども、今回にかぎって『週刊新潮』はよい記事を書いた、とでも考えていらっしゃるのでしょうか? このような理解以外に、この見解の根拠、理由を合理的に説明することはできないように思えるのですが…。

金さんの論文発表とその直後の『週刊新潮』掲載の記事への御社の一連の対応を知って以来、なぜこのような対応がなされたのか、ずっと疑問をもっていましたので、「岩波書店代表取締役社長・山口昭男氏と佐藤優」を読んで以降は、「『週刊新潮』の記事に岩波の上層部が関与しているのではないか」という金さんの疑いは無理もない、もしかすると実態は金さんの推測どおりなのではないかと思っています。真相はいかがなのでしょうか? 岩波書店には、このような社員の疑惑、そしてあえて言わせていただきますが、読者の不審に真面目に応じる道義的責任があるのではないでしょうか? というのも、この件における皆様方の行動は言論機関である岩波書店にとって生命線に直結するほどの重大かつ深刻な本質的問題を包含していると考えるからなのですが。

つぎに②についてですが、記事の内容が事実であるかあるいは虚偽を含むものであるかは一応さておくとして、「岩波関係者」の発言の生々しい具象性をみると、それが著者や関係業者などの外部の人物が発した言葉であると想定することはかなり不自然であり、無理のある話のように思えます。取材当時『週刊新潮』は締め切りに迫られていたようでもあります。かりにこの件にかんする様々な情報を岩波の社員から得ている外部の人物が存在したと想定しても、締め切りが迫った限られた時間の中で、『週刊新潮』はどのようにしてそういう人の存在を知り、かつこうもすばやく情報をえることができたのかという疑問が浮かびます。そもそもこのような他社の人事や個人のプライバシーにかんして週刊誌の求めるままにさらさらしゃべるような軽率な人物は世の中にそうはいないはずです。社内調査を行わない理由としてなぜ御社がわざわざ「著者」や「関係業者」などという名称を出されたのか理解に苦しみます。かりにこの「岩波関係者」が文字どおり社外の人間だったとして、その人物が自身の判断でこのような話をしたのだとしたら、この出来事は会社にとって危惧の種になるはずではないのでしょうか。内容に虚偽があるのだとしたら、なおさらだと思いますし、これほど具体的な話ができるということは、岩波社内の人間が逐一詳細を教えていたということにもなりますから、この人物が誰であるか、会社にとってはやはり問題になるはずではないのでしょうか。

次に、この「岩波関係者」が社内の人物にまちがいないと想定して考えてみます。

ある社員が金光翔氏にかんして『週刊新潮』の取材依頼を受け(『週刊新潮』がなぜ金光翔さんに関心をもち、わざわざ記事まで作ろうとするのかという根本的疑問がありますが、これについては「佐藤優氏にかかわる論文を発表したから」という以外に回答が思い浮かびません。これは実に異常なことです)、これに対して自己の判断で取材に応じ、あのような話をしたのだと想定します。するとこれもまた岩波書店にとっては憂慮すべき事態ではないかと思えます。守秘義務の問題のみならず、金さんによるとこの「岩波関係者」の話は虚偽だということだからです。たとえば、『世界』編集部から異動になったのは、編集長から追い出されたのではなく、2006年12月4日に自分の方から「異動願」を提出したのだ、というように。

金さんのこの説明が事実なら、「岩波関係者」として週刊誌に登場して一方的に他の社員を非難・中傷する、「編集長も持て余し、校正部に異動させたのです」と虚偽の人事情報を流すなど、こういう異常な行動をなす社員の存在は、金さんの人権侵害問題にとどまらず、『世界』編集長の名誉や岩波の信用を傷つけることにもなり、本来会社にとって放置できないはずの問題ではないのでしょうか。

しかし、会社にそのような憂慮の気配は何らうかがわれず、発生した問題のすべての責任を一人金さんに押しつけ、負わせることによって解決を図るという思考に収斂していっているようにみえます。これは正当なことでしょうか。一体、金さんがこのような目にあわなければならない何をしたのでしょうか。論文を読んだかぎりでは、心の底から言いたいこと、言わなければならないと信じることを金さんは書き、発表しただけだと私は思っていますが、そうではないのでしょうか?


そもそも佐藤優氏とは、どのような物書きであり、岩波書店にとってどのような存在の人物なのでしょうか?

昨年末から新年にかけてイスラエルがガザ大虐殺を敢行したとき、佐藤氏は『アサヒ芸能』などの週刊誌で全面的にイスラエル擁護の論陣を張り、さすがにこれには多くの人が眉を顰め、佐藤氏についての認識を改めた人も中にはいるようですが、実は佐藤氏は2006年にすでに

「アラブの原理主義やパレスチナの極端な人たちの中から、「佐藤は日本におけるイスラエルの代弁者だ」ということで、「始末してしまったほうがいい」と言ってくる人たちが出てくるかもしれない。それはそれでかまわない。それを覚悟で贔屓しているわけです。しかしそれと同じように、アラブを贔屓筋にしている人たちは、イスラエルにやられても文句は言えないですよという話です。たとえばアルカイダ、ハマス、ヒズボラのテロリストを支援するような運動をやった場合、これはイスラエルにとって国家存亡の問題ですから、その人は消されても文句は言えない。それくらいの覚悟が求められる贔屓筋の話だと思います。」(『インテリジェンス 武器なき戦争』(幻冬舎、2006年11月)、168頁)

と述べています。パレスチナ問題は人の命や差別や貧困や平和といった人間存在の根源的問題ではなく、単に贔屓の問題、人の好き嫌いの問題だというわけです。しかし佐藤氏がご自分のイスラエル贔屓を宣言するのは自由ですが、自らと異なる考えや立場を勝手に「贔屓」の問題に限定し、矮小化し、なおかつそれらの人々に対して「消されても文句は言えない」などと述べるのは体のいい恫喝であり、卑劣な行為だと思います。しかもこの発言の前段では、「「佐藤は日本におけるイスラエルの代弁者だ」ということで、「始末してしまったほうがいい」と言ってくる人たちが出てくるかもしれない。」などとこの時点では少なくとも公的には誰も「佐藤は日本におけるイスラエルの代弁者だ」などと言ってはいないのに、まして「始末してしまったほうがいい」などの発言は現在でさえなされてはいないのに、あらかじめその場面を想定して述べているのは、自分への批判に対する牽制のつもりなのか、それとも計算づくの確信犯としての発言なのか、どちらにせよ本当に独善的な不快な議論だと思います。金光翔さんの論文をめぐってなされた佐藤氏の一連の行動も本質的には同じではないかと私は思いますが、世の中には多種多様な人間が存在するとしても、社会の公器をつかってこのような物言いの主張をする人は初めて見たように思います。

岩波書店について私は歴史的なこともふくめて知るところはわずかですが、それでも忘れがたい印象的な挿話を幾つか記憶しています。たとえば中野重治は1938年の執筆禁止処分のとき、生活に窮して斎藤茂吉に宛てて、岩波書店に校正係として雇われることはできまいか、そういう口があったらお取りもちを願いたい、と書いた手紙を出したそうです。その話は上手くはいかなかったようですが、岩波の二階で岩波茂雄さんに会って、『奉天三十年』という本を貰ったそうです。この出版者が怪物のようなおもしろい顔をしているのも、そのときわたしは初めて知った、などと中野重治は書いていますが、その筆致にはいかにも懐かしそうな、愉しそうな感じが滲み出ているように思えます。

また、安江良介氏について、在日朝鮮人作家の徐京植氏は、

「いまになってみれば、初めてお会いしたときも、また母を見舞っていただいたときも、安江さんが安易な気休めを口にしなかったのは、ジャーナリストとしての自らの情勢判断に忠実だったからであり、何よりも、私のような若輩に対しても、また私の母のような一介の庶民に対しても、誠実かつ対等に向かい合おうとする姿勢の故であったと思う。長くお付き合いいただいたが、安江さんのそうした姿勢にはいささかも変化はなかった。(略) 安江さんは同じ講演で、日本の朝鮮支配を批判した「殆ど無に等しいほど限られた少数の人たち」の例として中野重治、槇村浩、柳宗悦の名を挙げ、「そのような先人がいたことに私は日本人としてわずかに慰められている」と述べている。だが、私自身はむしろ、安江さんは尾崎秀実のような人の細い系譜に位置する人だったのではなかろうかと、勝手な想像をしている。尾崎にとっては中国、安江さんにとっては朝鮮が、日本および日本人の姿を照らし出す鏡だった。アジアの隣人と真に連帯できる日本を築くことが、両者の生涯に共通する主題だった。それだけではない。野村浩一先生は尾崎を「単独の革命者」と評しているが、この名は現代日本においては安江良介さんにこそふさわしいと私は思うのである。のちの世の日本人は、この時代に安江良介という先人がいたことによってわずかに慰められることになるだろう。」

と述べています。徐京植さんは私には現代日本の最も優れた作家の一人と映っていますが、徐さんのような人からこんなに深い信頼を寄せられる安江良介という人にはきっとそれだけのものが備わっていたのだろうと想像します。

それから、京谷秀夫氏は『中央公論』の編集者として遭遇し、深い苦悩を味わうことになった「風流夢譚事件」について『1961年冬』(晩聲社1983年)という本を書かれていますが、その中で岩波書店にかんし次のように述べています。

「『世界』は戦後に創刊された雑誌であり今日まで数代の編集長によって編集されたであろうが、編集長の交代が誌面から感じとれないほど、編集の発想も態度も一貫しているようなところがあり、ここには、いわば不動のジャーナリズムといったものがある。」「彼ら右翼は、中央公論社-『中央公論』が、彼らの言う進歩的ジャーナリズムのなかで最も弱い環であることを確実に感じ取っていたのではないかということである。彼らが、岩波書店-『世界』の中に楔を打ち込むことが不可能であるのに対して、中央公論社-『中央公論』には、それがはるかに容易であるという認識を持っていたであろうことに、私が気づいたのも、同じく事件の後である。そして事件の経過は、彼らの認識はまったく正しかったことを実証してしまった。」「おそらく右翼にしても、『世界』を相手にすることは、そもそも断念していたであろう。その強固な一枚岩的性格は、彼らといえども手に負えない存在だったに違いない。しかし『中央公論』に対しては、外部から力を加えれば、内部から分裂を起こすような案外に脆い存在であることを、彼らは看取していたに違いない。そして『中央公論』を崩すことによって、彼らのいう進歩的ジャーナリズムの戦線を分断し、『世界』を孤立させることができるという判断があったのかもしれない。」

京谷氏の目に映っていた岩波書店と現在の岩波書店との間にある目のくらむような深い裂け目。これが金光翔という在日朝鮮人三世である社員の存在をとおして映し出されることになったというのも、決して偶然ではないと思います。なるほど現在の岩波書店にも「一枚岩的性格」がうかがえないことはありません。でもそれは『1961年冬』において京谷氏が何度も述べているかつてのそれとは性格を異にし、正当な根拠も示すことなくたった一人の社員に対して会社と組合が一丸となって攻撃にかかるような性質のものに変貌してしまっていることをイヤでも感じないわけにはいきません。

このところ「在日特権を許さない市民の会」なる団体が注目を集めていますが、彼らの言動の端々にはこの種の集団にはめずらしく何か異様に意気揚々とした感じがあります。「カルデロン一家を叩き出す」「竹島を韓国領だと主張する『不逞朝鮮人』を日本から叩き出す」というような発言の恐ろしく煽情的かつ自信たっぷりの物言いをみると、もう日本社会はこれまでとはちがう、自分たちの存在がうけ入れられる下地が着々と整いつつある、心底恐れなければならない抵抗などもはやないであろう。彼らは現にこのような自信をもっているのではないかという印象をうけますが、その自信には相応の根拠が存在するように思えます。このような事態は戦後一度も現れたことがないはずです。佐藤優氏を取り巻くさまざまな現象についても私は戦後初の出来事だと感じていますが、双方の出来事は深部においてひびき合い、混在しているのではないのでしょうか。金光翔さんはいち早くこのような事態到来の可能性、その危険な萌芽を見抜いたのでしょう。『<佐藤優現象>批判』は鋭い直感力、幅広い視野、そして何よりも粘り強い正確な思考力に支えられた優れた論文だと思いますが、それらすべての基礎となっているのは現状への強い危機感であることは間違いないでしょう。


佐藤優さんは、『週刊金曜日』の連載「佐藤優の飛耳長目」(2008年4月11日号)で、沖縄戦集団自決裁判の第一審の「原告団が、『沖縄ノート』の内容に異議があるならば、版元の岩波書店を訪ね、議論をすればよい。筆者も岩波書店とは付き合いがあるが、岩波側は誠実に対応すると思う」と記述していますが、このような文章を読むと、佐藤氏はあるいは岩波書店の大株主または岩波書店の会長職にでも就いているのだろうかと思ってしまいます。一体、この発言は岩波書店と相談の上でなされたものなのでしょうか? 現に裁判を争っている相手当事者の出版社を、訴訟にもちこんだもう片方が訪問して会合をもつ話など、これまで私は聞いたことがありませんし、まして『沖縄ノート』の内容に対する異議について著者である大江健三郎氏を差し置いた場所でどんな話ができるというのか、不思議の感に堪えないし、佐藤氏の態度はさまざまな意味において不遜に過ぎるのではないでしょうか。皆様方はこのような発言をどのように感じ、どのようにうけとめていらっしゃるのでしょうか?

以上、率直に書かせていただきました。もし何らかのご回答をいただければ大変うれしく思います。

4月16日
スポンサーサイト
[ 2009/04/26 00:00 ] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。