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「談合」としての<佐藤優現象> 

毎日新聞夕刊の文化欄に、鷲尾賢也が、「なぜいま佐藤優か」と題して、文章を書いている(『毎日新聞』2008年1月16日夕刊 連載「本のウチソト表裏」)。この文章の内容は、後述するように下らないものではあるが、この件は、なかなか興味深い問題をはらんでいる。

「なぜいま佐藤優か」と題したこの記事には、「左右、硬軟とりまぜ 教養と経験に信頼感」という見出しがついている。この見出しからも分かるように、鷲尾は佐藤優を極めて高く評価している。

鷲尾は、佐藤の著作がベストセラーになっていることや、「左、右といったイデオロギー的な幅」を超えた多様な出版社が、佐藤の本を刊行し、佐藤の文章を雑誌に載せていること、佐藤の文章のレパートリーが「哲学・神学から人間観察、はては人生相談まで、硬軟とりまぜた豊富さ」を持っていることなどを述べた上で、以下のように続ける。

「こういったいわゆる<佐藤優現象>にはさまざまな批判もあるようだ。しかし、すべて読みやすいとはいえない著書が版を重ねるという重みが、どうしても批判を無力にしてしまう。」

そして、鷲尾が佐藤の本の「主要なものを十冊程度」読んで気づいた点として、佐藤が「並外れた知的好奇心の持ち主」であることを挙げ、「キリスト教を中心とする教養が、著書の根幹に据えられ、しかもそれを現実と戦う武器にする。魅力のひとつはそのパワーにあるだろう」と述べる。また、佐藤が「量質とも想像をこえる」読書家であることを紹介し、「このような活字中心の「知」への関心は、現在の大学や社会にいちばん欠けているものではないか」とする。

また、佐藤の本を読んで気付いた点として、「ロシアを中心とした東欧、中央アジア、ユダヤ人などへの実務的な関わりと現場感覚」も挙げた上で、「現場で得た体験を次の事態にいかに応用してゆくか、そういう行動力の裏づけもベストセラーの背景にある」としている。

最後に、鷲尾は「佐藤優現象は、複雑化する世界を、迷走する時代を、知的で、実践的に解説・分析してくれる知識人が待望されていることを示している」と書いて、この文章を結んでいる。

この鷲尾の文章を読んで、「なぜいま佐藤優か」が分かったという読者はどれくらいいるのだろうか。実際に、鷲尾の文章を読んでいただければ話は早いのだが、「教養」「パワー」「現場感覚」「行動力」といった、空疎な言葉が羅列されているだけで、佐藤の発言の具体的にどういった点が優れているのか、全く伝わってこないのである。この文章は、鷲尾が、佐藤の文章のどこが優れているのか、自分でも分かっていないことを却ってさらけ出している。鷲尾が挙げているような空疎なイメージに乗っかって、「一流の思想家」なる像が再生産されているわけだ。

鷲尾は、この文章の肩書きでは「評論家」となっているが、『論座』2007年3月号に掲載された、大塚信一(岩波書店前社長)と鷲尾との対談(「「危機」の今を、チャンスに変える 「人文書」編集者の“本分”」では、「講談社顧問」として登場している。ここでの、鷲尾の紹介文を書いておこう。

「1944年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。69年、講談社入社。『週刊現代』編集部からスタートし、『講談社現代新書』編集長、PR誌『本』編集長などを歴任。『選書メチエ』を創刊し、また『現代思想の冒険者たち』(全31巻)、『日本の歴史』(全26巻)などを編集。学術局長、学芸局長、取締役を歴任し、2003年に退任。著書に『編集とはどのような仕事なのか』(トランスビュー)ほか。」

なんのことはない。鷲尾は、(少なくとも2007年2月時点までは)講談社顧問として、佐藤の本を売る側の人間なのである。講談社は、本の出版や雑誌の連載などで、佐藤とは関わりが深い。そして、鷲尾の経歴と、「顧問」の肩書きからすれば、鷲尾は講談社では非常に大きな発言力を持っている(仮に退任しているとしても、退任後も)、と考えるのが自然であろう。そんな人間が、「こういったいわゆる<佐藤優現象>にはさまざまな批判もあるようだ。しかし、すべて読みやすいとはいえない著書が版を重ねるという重みが、どうしても批判を無力にしてしまう」などと言っているのだ。<佐藤優現象>批判には答えなくてよい、売れれば勝ちだ、と言っているわけである。呆れざるを得ない(注1)

長々と書いたが、今回、私が「興味深い問題」だと考えているのは、鷲尾の恥知らずな文章内容それ自体ではない。私が注目しているのは、この文章が、<佐藤優現象>が、出版業界のある種の「談合」として成立している側面があることを示唆しているように思われる点である。これには、少々解説が要る。

まず、鷲尾が「こういったいわゆる<佐藤優現象>にはさまざまな批判があるようだ」と述べている点である。鷲尾が読んでいるかどうかは知らないが、ここで念頭に置かれている批判の一つとして、私の論文「<佐藤優現象>批判」があると想定するのは不自然ではあるまい(定義内容はやや違うが)。よく使われる「佐藤優バブル」でも「佐藤優ブーム」でもなく、わざわざ<>付で、私の論文タイトルと同じく<佐藤優現象>と表記しているのだから(注2)

そして、私の推定では、鷲尾の文章は、岩波書店にエールを送るために書かれたものである。

編集者、大学教員、大手紙の文化部記者などをメンバーとする「ムダの会」なる集まりがある。確か季節ごとに集まっている。「いける本・いけない本」なる書評誌(注3)を発行するなど、なかなか活発に活動している。そして、この「ムダの会」の活動の中心的な人物が、鷲尾と岩波書店役員、小学館役員である。

実は私も、岩波書店役員に連れられて、一度この「ムダの会」の会合(飲み会)に参加したことがある。私が参加したときは、鷲尾、岩波書店役員、小学館役員のほか、文藝春秋の年配の社員もいた。岩波書店社員も何人も参加している。会社の枠にとらわれず、各社の出版物や著者に対して忌憚なく批判したり、出版業界の裏情報や出版全般についてざっくばらんに語り合ったりしながら、和気藹々と交流する、「出版業界」に憧れる人にはたまらないであろう、セレブな(自意識が蔓延した)空間であった。私もそこで、鷲尾らのご高説を拝聴した。鷲尾は、典型的な教養俗物である。

鷲尾の記事の脇には、毎日新聞の文化部の記者が署名付で、関連する文章を書いている。「一定の読者が見込める佐藤さんに出版依頼が集まるのも当然だ。国家、文明、思想を大局的に論じる人材が足りないことの表れでもある。出版不況は活字離れなど消費者側の要因ととらえられがちだが、質が高くて売れる著者を発掘する、出版社の責任も大きいのではないか」といった結びの言葉からも分かるように、無内容なものだ。この記者とも私は、「ムダの会」参加者経由で会ったことがある。要するに、この辺はまとめてつながっているわけである。

別にマスコミ陰謀論に手を貸すつもりはないが、『SAPIO』を刊行する小学館役員が、岩波書店役員と懇意であることからも分かるように、老舗の出版社の「左」「右」の政治的色分けや、相互の応酬などは、所詮は八百長プロレスの枠を出ない。<佐藤優現象>は、そのことの公然化である。「ムダの会」のような集まりは、編集者同士の相互乗り入れの単なる一例に過ぎない(注4)。このような土俵においては、刊行物の性格がどれだけ変わろうとも、文藝春秋や新潮社はいつまでたっても「保守メディア」とされるし、岩波書店もいつまでたっても「進歩的メディア」とされる。「左」「右」の出版社とも、相手を批判する上で、相手の会社が保とうとするイメージ自体への否定までは踏み込まないのである。

<佐藤優現象>は、このような、出版社相互の「談合」として成立している側面がある。私は、『インパクション』の論文で、<佐藤優現象>がリベラル・左派の変質を示していることを指摘したが、もともと変質する土壌はあったわけである。このブログで取り上げている、『週刊新潮』の私に関する記事は、岩波書店への軽い揶揄を含むとは言え、「岩波関係者」の協力の下、私を攻撃し、<佐藤優現象>を持続させたい岩波書店を利するものである。また、岩波書店及び岩波書店労働組合が、『週刊新潮』の記事を利用して私を攻撃していることも既に述べた。こうした、新潮社と岩波書店のある種の相互依存という現象も、この「談合」体質の一つの帰結としても捉えられよう。

佐藤及び<佐藤優現象>への批判について、各出版社は、批判が「左」からのものであれ、「右」からのものであれ、佐藤の本が売れるうちは封殺しようとするだろう。

佐藤が、もはや熱心な佐藤信者すら追いかけるのが難しいほど多くの媒体で、内容の使いまわしという醜態(注5)を恐れることなく書きまくるのも(また、大量の本を書き続けるのも)、こうした構造を自覚しているからだと思われる。佐藤は、自分が「超売れっ子」であるという表象を不断に作らないと、このバブルがはじけかねないことを自覚しているのだろう。このバブル自体は、『インパクション』の論文でも書いたように、リベラル・左派がイスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスの(たとえ重要ではあっても)一エピソードであるから、仮に佐藤バブルがはじけようが、リベラル・左派の「国益」中心主義への変質という構図自体は何ら変わらない。ただし、佐藤バブルの崩壊は、そうしたリベラル・左派が変質しているという構図を、誰の目にも明らかなものにするだろう。その意味で、佐藤批判は重要である。


(注1)傑作なことに、上記の『論座』の対談で、鷲尾は、編集業界の現状について、「編集者も出版社も、数字しか頭にない状態です」と慨嘆している。

(注2)「佐藤優現象」なる用語の恐らく初出は、魚住昭「『佐藤優現象』とは何か」『一冊の本』2006年1月号。

(注3)手元にある第6号(2007年7月20日発行)、第7号(2007年12月31日発行)で、同誌に「アンケート」回答を送っている編集者の所属企業を挙げると、以下のとおり。講談社(これは鷲尾であるが、「元講談社」と記載されている)、小学館(これは上記の役員であるが、第7号では「元小学館」と記載されている)、KKベストセラーズ、小学館クリエイティブ、三省堂、図書新聞、研究社、春秋社、PHPエディターズ・グループ、文藝春秋、千倉書房、ジャパンタイムズ、トランスビュー、PHP研究所、大月書店。発売元はトランスビューで、冊子の「編集室」の代表として、鷲尾の名前がある。

(注4)この点は、佐藤も証言している。「編集者の世界には所属組織の利害関係を超える尊敬と協力の文化があるということを私は馬場さん(注・岩波書店の馬場公彦)と伊藤幸人さん(新潮社広報宣伝部長)を通じて教えられた」(佐藤優『獄中記』岩波書店、2006年12月、463頁)。佐藤が「フォーラム神保町」(会員資格はメディア関係者に限られている)を立ち上げた理由として、こうした出版業界の「談合」的体質を促進することが、自分の保身につながると考えた点もあるかもしれない。

(注5)これは使う側の出版社の醜態でもある。佐藤が原稿内容を明らかに使いまわししていることが、各出版社によって黙認されているのも奇妙な現象である。大抵の出版社は、読者には二重投稿を禁止しているはずであるが。


(金光翔)
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[ 2008/01/25 23:19 ] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)


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